「イタリア巡礼の旅」サレジオ会創立者ドン・ボスコゆかりの地とアッシジ・ローマを訪ねる旅 第4日

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ドン・ボスコが少年たちと思いきり祈り、遊び、悩みを聞けた場所・バルドッコに来ました。皆さま、興奮状態で、神父様が持っていらした旗のもとに集まりました。 

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バルドッコはサレジオ会の聖地です。この地で1888年1月31日、ドン・ボスコは亡くなられました。ご遺体はここに埋葬されている。

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ごミサは扶助者聖母大聖堂の地下にある「聖ぺトロ聖堂」で捧げられました。

「19世紀の半ば、トリノは非常に困難な時代にありました。このような時に、コトレンゴ、ドン・ボスコ、カファッソなど偉大な聖人が生まれています。コトレンゴは、御摂理への絶対的信頼のうちに、身体、知的障害者のために生涯をささげました。ドン・ボスコはカファッソとともに刑務所を訪問し、青少年と接しながら、彼らを刑務所に入らないようにしなければと痛感します。また、当時の高慢な教授の態度を見ながらも、このようになってはいけないと、霊性を高めていきました。ヤンセニズムの影響を受けていたトリノで、「聴罪司祭ハンドブック」を書いたアルフォンソ・リゴリオの教え、神のもとには、慈しみと慈愛が充ちあふれていて、神の愛を目に見える形で人々に伝えるとの精神を生きようとします。ドン・ボスコは無原罪の聖母を愛していました。困っている人には、ご自分から進んで助けにいらっしゃる聖母の取り次ぎを願いながら、このような聖なる道を歩み、人々のため、特に路頭に迷う青少年のために自分を与え尽くされました。」

 

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昼食の後、カテドラルで公開されている「聖骸布」を見るため、長い、長い行列について、歩き疲れ一休みの皆さまに、Sさんが聖骸布について話して下さいました。

 

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本当に良く歩きました。夕食のワインやビールが美味しい。そして、Oさんは、皆さまの祝福を受けて、今日、お誕生日です。