山内神父様と行く雲仙、島原、天草巡礼2日目
今日は曇り空の朝です。
まずはじめは、島原教会です。
八角形は「真福八端」、マタイ福音書山上の説教の真の8つの幸せの教えを理念としています。
またドーム型は、人間の意識が天に高揚するため。だそうで、この教会の外観も聖堂も、たくさんの
意味が込められてつくられています。
聖堂内のステンドグラスは、島原半島の殉教をとりあげています。
誕生の神秘
苦しみの神秘
波間に沈む内堀三兄弟殉教者
有馬の8人の殉教者
聖堂内部
次は霊丘公園です。
ここは内堀三兄弟が殉教した有明の海が一望できる場所です。
ここで殉教した幼い子どもたちのことをおもいながら、皆でお祈りを捧げました。
お昼は地元でとれたお魚いっぱいの海鮮丼です。
皆様喜んでめしあがっていました。
午前中に伺った、島原教会で。
ミサの後、シスターがお茶の用意をしてくださいました。
主任司祭の山田神父様もいらしてくださり、楽しい時間を過ごしました。
山内神父様と山田神父様は、神学校で一緒に生活をしていたそうで、昔に戻った感じでお話しなさっていました。
原城跡。
有馬はるのふが築いた城郭です。1637〜1638年にかけて起こった島原、天草一揆では、廃城となっていた原城が、一揆勢の拠点となりました。
ホネカミ地蔵
原城跡に残されていた遺骨を拾い集めた地蔵塔です。
天守台跡
見晴らしの良い場所にありました。
天草四郎のお墓
城壁跡など
東京ドーム40個分の広さがあるそうです。
領主有馬氏の居城跡。
1584年に龍造寺氏を撃退したキリシタン有馬晴信は、有馬のセミナリヨで学んだ4人の少年が1590年にローマから戻ると新築の城に招いた。
2000年の発掘調査で、仏塔をつかった階段遺構や切石技術をつかった独創的な石垣が発見され、有馬晴信の権力と仏教を排してキリスト教を保護した歴史がうかがえる。
今日の最後の場所、有馬川殉教巡礼地に行きます。
1612年に、有馬直純が宣教師を追放し、有馬領に禁教令がだされると、1613年10月7日、棄教を拒んだ有馬の家臣やその家族あわせて8人が大勢のキリシタンが、見守る中、城の前の中州で火刑となる。
2008年に8人は福者となる。
高濃度炭酸泉の温泉につかり、さっぱりした後夕食です。
自己紹介をし、たくさんの話題に花が咲き、夕食の解散が21時をすぎてしまうほどでした。
山内神父様のいつもにこにこした優し笑顔で、良い雰囲気の中、巡礼を続けていけそうです。