大阪再宣教150周年 「聖地イスラエル・黙想と巡礼の旅」第7日
このような砂漠の丘の上で、貯水はどうだったのか?食料は?いろいろな疑問が湧いてきます。
次の訪問は、和田幹男神父様専門のクムランです。著書「死海文書」の中に詳しく書かれています。
必要がないのに、私たちに模範を示されるため、洗者聖ヨハネから洗礼を受けられたイエス様。天から「これは私の愛する子、これに聞け」との天の父の声がしました。
和田神父様が各訪問地で、黙想への導入をして下さいます。
ヨルダン川のほとり。対岸はヨルダンです。イスラエルの女性の兵隊さんが、車椅子の方を手伝っていました。平和な心温まる光景です。
エリコでの昼食の後、ガリラヤに向かいます。
ハプニングです。突然バスが止まってしまいました。ドライバーのAさん、大パニックです。
でも、外の方が涼しいので、この時間を利用して自己紹介です。もっとお互いに知り合い、霊的家族の絆が強くなったようです。
幸い連句のゲスト・ハウスに到着したのは、夜8時頃でした。すぐに今日のごミサです。聖モニカの記念日のごミサで主司式は和田幹男神父様。
「聖アウグスチヌスは、私の心は、主のうちに憩うまで安らぎを得ない」とおっしゃっています。アウグスチヌスは迷いの人生を送っていました。母モニカは涙の祈りを持って息子アウグスチヌスの回心のために祈りました。モニカは、ミラノの大聖堂に毎日通い、涙を流しながら息子アウグスチヌスの回心のために祈りました。そしてアウグスチヌスは母モニカの祈りと、ミラノの大司教アンブロジーオのお説教により回心しました。主よあなたのうちに憩いましたと言える日が来たのです。明日がアウグスチヌスの記念日です。先輩に聖ヒエロニムスがいます。・・・
現代の社会にいかに福音宣教をするか?神の御言葉は、本来宣教すべきものです。」
大阪再宣教150周年 「聖地イスラエル・黙想と巡礼の旅」第6日
ごミサで巡礼第6日が始まりました。今日のごミサは、エルザレム・フランシスコ会修道院で松永神父様の主司式で捧げられました。
「巡礼の途中ですが、自分の考えを述べたいと思います。イエス様の道。同じ空気を吸うこと。最初の日に和田神父様から、歩くとは生きることと教わりました。2日目、聖墳墓教会への道に迷ってしまいました。焦りながら、行きつ、戻りつしているうちに何とか辿り着き、ミサに与ることができました。
和田神父さまが、迷っても、私の地図を広げることになる。迷いを通して自分が巡礼者としての道を歩み、彼らの生き方を思い巡らすことです、それが、豊かさにつながるとおっしゃいました。
今日の福音でイエス様は、私の言葉は、命であるとおっしゃいます。そして、弟子たちは、あなたは永遠の命を持っておられます。と、信仰宣言のように言っています。福音を通して命の言葉を突き止めていくことができますように 。」(文責:小池俊子)
巡礼の途中でのショッピングです。
イスラエル博物館には、エルザレムの50分の1の模型があって、訪問してきた場所をしっかりと確認することができます。
クムランで発見された死海文書を保存するための博物館です。
エルザレムからエリコに向かう途中、海抜ゼロ地点通過です。
エリコは1万年前からの世界最古の町です。
ナツメヤシの実が重そうになっています。
死海での浮遊体験です。皆さま、少年・少女に大変身。楽しい、童心に返ったひと時でした。
今夜の宿泊は、死海の辺りのホテルです。巡礼の中間地点での一休み。皆様の食欲はおとろえません。お元気で素晴らしい皆様です。
大阪再宣教150周年 「聖地イスラエル・黙想と巡礼の旅」第5日
朝早く聖墳墓教会のご復活の聖堂でのごミサに参列なさった方々です。
最後の晩餐の間です。訪問前に過ぎ越し祭についての神父様からのお話を伺い、最初のごミサの部屋に入ります。枢機卿様も神父様も膝まづいて祈られます。
ダビドのお墓は、中で祈るユダヤ教のご婦人に断られて写真撮影はできませんでした。
「聖母の永眠教会」から「鶏鳴教会」まで歩きます。
真の黙想の旅です。聖書朗読を聴き、神父様の解説でより具体的な示唆を頂き、深く主の御苦しみを自分のものにしたいのです。
カイファの家からピラトの官邸まで、弱り果てた御身体をこの道を歩いて向かわれます。
壁に掲げられている、日本語のザカリアの賛歌を読み、洗者聖ヨハネの御誕生と、主の道を整える役目などに想いを巡らせます。
とても仲良しで、巡礼の華KさんとOご夫妻。
今日のごミサはエンカレムの「聖母のご訪問」の教会で荘厳に捧げられました。
ご担当は高橋神父様です。
「主があなたの中におられる。主がエルザレムでもともにおられる。喜びなさい。娘・シオン、マリアが代表者のようになっている。聖母ご訪問の神秘。愛には偽りがあってはならない。互いに身分の低い人と交わりなさい。
エリザベトが身重で、マリアは彼女を助け、仕えるために急いでエリザベトのもとに行きます。いつのまにか、だらっとしてしまったり、人の悪口を言っている自分。
マリアは出かけて行きなさいとは言われていません。ご自分の中から自発的に、エリザベトの所に行きました。ここには強い神の促しがあります。・・ヘブロンに行った時など、歴史的な時間の長さに圧倒されました。・・感謝しながらごミサを捧げて行きましょう。」(文責 小池俊子)
アイン・カレムの帰り道、美味しいジェラート屋さんで一休みです。
夜のお食事で、山野内司教様団長のサレジオ会の神父様方にお会いしました。
大阪再宣教150周年 「聖地イスラエル・黙想と巡礼の旅」第4日
朝の出発前です。ドライバーのアンワルさんもごきげんです。彼はオリンピック水泳の首席コーチとのことです。
最初の訪問は、「ドミヌス・フレービス(主嘆き給う教会)」です。ごミサはこちらで捧げられました。今日のご担当は、松浦神父様です。
和田神父さまの黙想の導入があり、ドミヌス・フレービツトでの集合写真を撮りました。
日陰に入ると涼しいので、とても過ごしやすいです。
ゲッセマネ(万国民の教会)に入る前の黙想です。
「教会には、知識や学問ではなく、聖なるものを求めていきます。・・」
オリーブ山からユダの荒野を眺めます。
主のご昇天の場所です。現在ここはモスクのようになって、イスラム教徒が守っています。
入り口の椅子に座り込んで、このようないたずらをなさるNさん。
「主の祈りの教会」です。
枢機卿様と司祭団です。力強い巡礼のハート。
毎週金曜日には、フランシスコ会の神父様がたが先導なさって)十字架の道行き」が行われています。
有志の方々と参加しました。早めに着きましたのでロザリオの祈りを一環唱えることができました。
全世界から集まってくる巡礼が同じ「十字架の道行き」を歩きます。
歩くというより、ほとんど走りながらの道行きでしたが、普遍的教会の一員としての誇りと喜びを感じた時でもありました。
こんな感じです。お店の人はほとんど無関心で、道行きを歩くこれほどのキリスト者は真剣に。
聖墳墓教会に2人の若い日本人がいらっしゃいました。信者さんではないとのことで、枢機卿様の祝福を頂きました。
大阪再宣教150周年 「聖地イスラエル・黙想と巡礼の旅」第3日
最初の訪問はヘロデイオンです。ヘロデ大王の要塞と宮殿跡で、ヘロデのお墓も発見されている。
ガイドのSさんの説明の後に、涼しい木陰に座り、和田神父様が私たちを霊的な黙想に導いて下さいます。
ヘブロンのアブラハムとサラのお墓、イザクとレベッカのお墓など訪問です。
ベトレヘムの「羊飼いの野」です。貧しいまぶねでお生まれになられたイエス様を観想しました。
イエス様がお生まれになられた場所への行列です。
床のモザイクは最近観せるようになりました。
ごミサは生誕教会の「ご聖体の小聖堂」で捧げられました。
今日のご担当司祭は、中野神父様です。
「大きな感謝の巡礼の旅をさせて頂いてます。ここユダヤの国と日本の神概念は異なります。日本の神は上にいるもので、何をしてくれたのか私たちには分かりません。しかしイエス様は時代設定まではっきりしている、ここ生誕教会でお生まれになりました。私たちが幸せになるようにと。人間の幸せはここにあるとのお手本を示して下さいました。悪いことをしていないのに十字架刑を受け、許すということを一番大切になさいました。最後の言葉はアッバ(幼児語でお父ちゃん)、御手に委ねます。神は私たちに救い主を送られました。私たちが神の子となるために。神の相続人になるために。・・・」
大阪再宣教150周年 「聖地イスラエル・黙想と巡礼の旅」第2日
昨晩遅くエルザレムのノートルダム・センター」にチェックインしました。
そして、今日は「聖墳墓教会」のカルワリオの祭壇での、早朝のごミサです。
皆さま、お元気にがんばっていらっしゃいます。
今日は聖母の元后の祝日です。マリア様がこの巡礼をお守り下さることでしょう。
巡礼最初のごミサは、枢機卿様が司式して下さいました。今日のごミサはここカルワリオの祭壇で捧げられました。
「今日は、天の元后聖マリアの祝日です。けれどもここではキリストのご受難のごミサが捧げられます。十字架は私たちをキリストに近づける大きな力です。そして、マリアは、イエスの協働者として、イエスの元にいつもいらして、キリストの業をともに行われていました。・・知り合いの方で、意識もなく、もうだめだと思った方が、条件付き終油の秘蹟で、額に塗油をしようとした時に、大きな十字架の印をなさいました。聖パウロの言う、十字架の他に誇るものはないとは、まさにこのことです。キリストは神でありながら、人の姿を取られ、十字架の死に至るまでご自分の命を捧げ尽くしてくれました。全ての人が、十字架の救いの恵みに与かることができますように。」(文責 小池俊子)
十字架が立っていた所には、穴があります。そこに手を入れて祈る方々です。
ごミサの後、ノートルダムに戻り朝食です。
ホワイト・ファーザース(アフリカ宣教の会)が管理している、聖アンナ教会とベテスダの池です。ガイドのSさん力が入ります。
和田神父さまから、この地で黙想のヒントが与えられます。素晴らしい旅です。
ホワイト・ファーザースの神父さまがここが写真のスポットと教えて下さった場所で。
アントニオの要塞でピラトは手を洗います。2人の泥棒よりも身分の低いものとなられたイエスの十字架の道がはじまります。
イエス様のお墓への行列です。全世界から集まる人々はこのお墓に葬られ、復活されたキリストを尋ねてやって来るのです。
途中シスターの修道院の聖堂などでご聖体訪問をしながら、暑い中、嘆きの壁までやってきました。足が棒のようです。
歩き続ける一日です。
嘆きの壁からダビドの町へ。当時はどのような町であったのか、想像が働きます。
また歩きです。ダビドの町からシロアムの池まで。
シロアムの池に到着しました。40度なのに、日陰には爽やかな、涼しい風がはいってきます。
ノートルダムでの夕食です。一日中良く歩きました。
そして、イエス様も公生活の間、このように歩いていらしたのではと想いました。