大阪再宣教150周年 「聖地イスラエル・黙想と巡礼の旅」第10日
巡礼最後のごミサは、「幸い連句」のゲスト・ハウスの聖堂で捧げられました。主司式は、枢機卿様です。
「Oさんが第1朗読の、キリストの恵みと平和がありますように、あなた方は神の子、私たちの主・イエス・キリストとの交わりに招き入れられた者など、力強く読んで下さいました。この巡礼はエルサレムのカルワリオでの「十字架称讃」の聖堂でのごミサから始まりました。エルザレムでは、沢山の豊かなお恵みを頂きました。十字架の道行きや、復活のお墓などを巡り、洗礼を受けた人ばかりではありませんが、巡礼の中で皆、神の子という感じを受けています。私たちばかりでなく、ユダヤ教、ギリシャ正教、イスラム教徒など、争いもありますが、同じ聖地を皆で仲良く巡礼する万国民の教会とも言えます。
いくつかの句を読みました。「復活の墓には 汗の列 永遠に」汗をかきながらいつまで続くのかと思われた行列の中で。「汗流し ビア・ドロローサ 万国民」。エンカレムでは、セネガルの司教様、神父様、シスターと大勢の信徒に会いました。「セネガルと ザクロアイスや エンカレム」。仲良く話し、洗者聖ヨハネの生誕地、マリアのエリザベト訪問の教会などを訪ねながら、互いに神の子であることを自覚しました。
今日の福音では、目覚めて用意していなさいと言われます。幸い連句のあわれみのある人、心の清い人、平和を実現する人など、実現しないと悪魔の子になる可能性があります。人の子は思いがけない時に来ます。私はこの言葉を小さい時から強く感じていました。友達が月夜間に帰ってきます。漁師たちは出漁する時には告白をします。神の日の完成の時、神のお望みから離れていると、神から永遠に離れてしまい歯ぎしりするような結末になってしまいます。漁をするのは、とても危険でした。ノルウェー国籍の貨物船に衝突されて帰らなかった親友もいます。用意して目覚めていなさい。喧嘩をしたり、いらん思いを起こしたりすることがないように心を清め、神とともに生きるという信仰生活を目の当たりにしながら育ってきました。時々告白をして、自分を省みながら、互いにこの心を強めながら生き、巡礼を続けて行くことができますように。「神の子や 目覚め用意と 秋の声」。いつも目覚めていなさい。用意していなさい。いつも準備していることができますように。」(文責:小池俊子)
幸い連句の教会の中で。