「スイスでの黙想の旅」第3日

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第1回 黙想(これは前日のお話しです。)

 

天地創造から。創造前には、地は混沌として闇であり、地の表を神の霊が動いていた。神はそこにも秩序を与えられた。人のコントロールのきかない水にも完全な支配を持たれる。神は無から創造される。人は加工するのみ。神は植物から動物へと同じ一つのリズムで創造の業を続けられる。一定のリピートされているリズムで、7日まで続く。7は完全数。そして、人を創られる。創造の頂点には神があり、被造物の頂点には人間がいる。人の創造には、三位一体の神の思いが込められている。神の似姿に型どってが3回、似せてが4回使われている。ここに、なぜ殺してはいけないのかの理由がある。教皇さまのラウダトシーでは、まず、神が称えられますように。人は動物とは違う。人間とそれ以外の被造物には決定的な違いがある。中絶は、人間の都合で合法化されているが、支配は、神の業であり、自分の都合で、物事を牛耳ってはならない。人は崇高な生き物である。環境破壊だけではなく、一時的に神から管理を任されている人は、その崇高な使命を認識しなければならない。世界の

半分以上の人が飢えている。一人一人が変えていくべきこと。最後に神は男と女を平等に創られた。命の伝達のために男と女を創られた。そして、人間は人間中心の世界にしようとして、原罪の状態を生きるものとなった。」

 

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美しい景色を見ながら「氷河急行」の中で昼食です。何と賑やかで楽しいことでしょう。

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食事と、黙想と。大変に充実した氷河急行での時間が過ぎていきます。

 

教皇フランシスコの[家庭]より。キリストの聖家族での生活は30年間であった。奇跡も癒しもお説教もない生活。時間的に無駄だったのではという考え方もある。ナザレとは守るという意味である。仕事の場を作ること。憎まず、愛すること。家庭の中に主を受け入れること。謙遜な人たちの象徴。ベトレヘムには、羊飼いがいた。そして、3人の博士は、幼子の前でぬかずく。母マリアはすべてを心におさめて想い巡らしている。即座の解答を求めずじっと耐える姿。これは信仰がなければできないこと。ルカは不思議に思っていたと何回も書いている。メッセージを探す生活。小さなことでも愛を込めて行うこと。隣人を自分のように愛するために今日がある。」

 

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スイスで最大のカトリック教会、アインジーデルン修道院でのごミサです。

 

ベネディクト会の修道師が私たちを爽やかに迎えて下さいました。すごい教会で、この中に[慈しみの聖母]のご像があります。

 

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「慈しみの聖母」像の前には真剣なお祈りを捧げられる方々がいらっしゃいました。

 

ごミサと黙想は、この教会内の小聖堂で行われました。

 

「主人が帰って来た時に、言われた通りにしている僕は幸いである。終末に関する教えで緊迫感がある。主がいつ来ても良いように準備しておくこと。賢い乙女とおろかな乙女の例えばなしで、信仰のある生き方、神に忠実に生きる日常の大切さを学ぶこと。ドミニコ・サビオは、今、世の終わりが来たらどうしますかとの問いに、このままやっていることを続けますと答えている。そのような日々でありたい。」

 

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黙想の続き:

「素晴らしい自然の中で神の似姿として人を創られる。お互いを大切にしなければならない。存在するものすべてを支配するものとして、神の御旨にかなった生き方をすること。神は男と女に創造された。アダマ(土)から人を創られ、エデンに住まわせ、人は神から頂いたものを神の御旨に合わせて行い、働くものとなった。エデンの園には善悪の知識の木があり、この木の実は食べてはいけない唯一のものであった。きまりをはずすのが自由であるかのように考える人がいる。神は最初から決まりを与えられたが、その理由は与えられなかった。本当の自由とはルールがないことではない。カテキズムでは、自由とは、正しいことを選ぶ能力と書かれている。神が決まりを人に与えられたのにアダムとエワは自分たちが決まりを与える存在になりたいと思う。神は、男のあばら骨から女を創造されたが、これは、男の優位性を示すものではない。二人は愛し、父母を捨てて一体となり、新しい命を育む。高め合い、助け合いの関係を築いていく。これから結婚していく人には大切な概念である。」