「スイスでの黙想の旅」第2日

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ミュスタイアーの世界遺産、聖ヨハネ・バプチスト女子ベネディクト会修道院でごミサです。

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お疲れもすっかり取れて楽しいお食事の時間です。

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サンモリッツカトリック教会の小聖堂をお借りして黙想会です。

 《フィリッポはベトサイダの人でした。ナタナエルとは、エルが神で、ナタンは与えること。神は与えたもう。自分の信念や正論を相手に信じさせることは難しい。「来て、見なさい」出ていくこと。信じること。人の心を変えるのはキリストである。私たちが神の招きを受けないれる時、神は、私たちの全てをご存じです。神は、私たちに無関心ではいられません。私たちの最高の喜びは、神の栄光を見ること。≫

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「今日は、聖バルトロメオの祝日です。フィリッポを通してキリストに出会いました。最初はナザレから何か良いものが出るだろうか?と言っていた。キリストを告げ知らせるとは、私の能力や、信仰、生活に寄るのではなく、キリストに触れて頂くこと、キリストによってのみ回心がある。信仰に至るまでの動作として、一番大切なことは見ること。いちぢくの木の下にいるのを見た。この巡礼の間、ナタナエルが回心したように、心の目でキリストを見ることができますように。」