江戸殉教者の史跡めぐり


高輪教会古川神父様と五野井先生他総勢37名で東京駅を出発。文京区の静かな住宅街の中にヒッソリとキリシタンゆかりの碑が当時の歴史を語っています。



シドッチ神父が新井白石と会見した場所。今は個人の家の玄関先に記念プレートがありました。カトリックの信者のお宅だそうです。


浅草教会。この近くで28名が殉教。ここは古川神父様の受洗された教会でもあります。
  


最後の殉教地、札の辻を訪れました。わずかに色づいた木々が雨に煙る美しい高台。当時"この苦しみは永遠の喜びに較べればほんの一時のものという"強い信仰を持ってここで散っていった多くの殉教者達。。私達の思いもだんだんと深まります。

十思公園(伝馬町牢屋敷跡)で五野井教授からの説明を聞く。
ペトロ岐部神父は、ここで殉教したと言われている。

呉服橋キリシタン墓地跡にて

今日は恒例日帰り企画が行なわれました。


東京駅日本橋口で五野井先生の説明。雨上がりの快晴で清々しい。

小日向山屋敷跡

住宅地の道端にあるキリシタン屋敷跡の石碑。

小日向

今日は絶好の散歩日和。文京区は坂の街。坂道を登ったり下ったり。屋敷跡の歴史的な説明。
  

施療院跡

浅草教会ステンドグラス

浅草・鳥越キリシタン殉教記念碑−浅草教会

浅草教会でご聖体訪問してから教会裏手にある、浅草・鳥越キリシタン殉教記念碑へ

伝馬町牢跡(十思公園)

江戸小伝馬町牢屋敷跡は今は公園と学校になっている。収容されたのは、ペドロカスイ岐部、ソテロ神父、サンフランシスコ神父ら約1700人と言われる。

碑文谷教会でのごミサ

高輪教会

モダンなデザインの高輪教会。教会信者さんが説明をして下さいました。教会地下では資料室、江戸殉教者の絵を見学。



原主水、ガルベス神父、アンジェレス神父他殉教者の刑場の様子。

今日は日帰りの巡礼にきています。


8時ちょうど、出発。文京区小日向にある江戸リシタン屋敷跡へ。長い階段を降り、かつてキリシタン坂と呼ばれた坂を登ったところが多くの殉教者を出した屋敷のある場所でした。
今は静かな住宅地でコンプリ神父様からお話を伺いました。



江戸キリシタン屋敷最後の殉教者であり、新井白石に西洋の科学を伝えたシドッチの最後の地であることを示すプレートです。個人のお宅ですがカトリックの信者でいらっしゃるということでお邪魔しました。

原主水の足跡を訪ねて

あいにくの雨。東京から17名出発。途中高速道路が事故のため渋滞して到着時間を心配しましたが、ちょうどぴったりに静岡教会到着し6名合流。驚いたことに静岡は晴れ。まずお御堂でお祈りと歌。そして原主水像の前でお祈り。

駿府城濠端にカトリック静岡教会と聖母幼稚園がある、その園内に、徳川の切支丹禁教令で悲惨な最期を遂げた原主水(はらもんど:聖名ジュアン)の像がある。

駿府におけるカトリックの信仰は、慶長12年(1607)徳川家康に随伴して来府した、ジョアン原主水らを中心に武士、庶民のあいだに広がりました。

ジョアン原主水は1587年頃下総の国 臼井城主の子として生まれ、家康の小姓として召された後に御徒士組頭となった。
1600大阪でイエズス会モレホン神父より受洗、1612年 キリシタン禁教令により、駿府を追放されたが、江戸近辺で密かに布教 1614年捕らえられ、駿府安倍川原で額に十字の烙印、両手の指、足の腱を切られ、放逐された。後に不自由な身で江戸に出、潜伏中再度捕らえられ、イエズス会デ・アンジェリス神父ら49名と共に1623年12月4日芝 札の辻で、火炎の中に主を賛美しつつ壮絶な殉教をとげられた。世に江戸の大殉教といわれる。

徳川家康の隠居城として築城された駿府城は、現在、駿府公園となっています。
緑豊かな公園を雨上がりの散歩の途中、鷹狩りを好んだ家康公の像を見上げます。


本丸を囲む堀は埋められてしまい、跡形もありません。二の丸の水堀が完全に残り、また三の丸水堀は一部埋め立てられています。東御門・巽櫓(たつみやぐら)は戦闘の拠点となる大変堅固な造りが復元されています。

安倍川のほとりの刑場跡近くに駿府キリシタン殉教之碑が建てられています。
弥勒(みろく)庵の駐車場にバスを停めさせていただきました。

東海道五十三次の広重の絵にも描かれた宿場町丸子の丁子屋でお待ちかねの昼食、名物とろろ汁を麦ご飯でいただきました。名産の自然薯を原料にした麦とろを、歴史を感じさせる日本民家で味わいました。