原主水の足跡を訪ねて

あいにくの雨。東京から17名出発。途中高速道路が事故のため渋滞して到着時間を心配しましたが、ちょうどぴったりに静岡教会到着し6名合流。驚いたことに静岡は晴れ。まずお御堂でお祈りと歌。そして原主水像の前でお祈り。

駿府城濠端にカトリック静岡教会と聖母幼稚園がある、その園内に、徳川の切支丹禁教令で悲惨な最期を遂げた原主水(はらもんど:聖名ジュアン)の像がある。

駿府におけるカトリックの信仰は、慶長12年(1607)徳川家康に随伴して来府した、ジョアン原主水らを中心に武士、庶民のあいだに広がりました。

ジョアン原主水は1587年頃下総の国 臼井城主の子として生まれ、家康の小姓として召された後に御徒士組頭となった。
1600大阪でイエズス会モレホン神父より受洗、1612年 キリシタン禁教令により、駿府を追放されたが、江戸近辺で密かに布教 1614年捕らえられ、駿府安倍川原で額に十字の烙印、両手の指、足の腱を切られ、放逐された。後に不自由な身で江戸に出、潜伏中再度捕らえられ、イエズス会デ・アンジェリス神父ら49名と共に1623年12月4日芝 札の辻で、火炎の中に主を賛美しつつ壮絶な殉教をとげられた。世に江戸の大殉教といわれる。

徳川家康の隠居城として築城された駿府城は、現在、駿府公園となっています。
緑豊かな公園を雨上がりの散歩の途中、鷹狩りを好んだ家康公の像を見上げます。


本丸を囲む堀は埋められてしまい、跡形もありません。二の丸の水堀が完全に残り、また三の丸水堀は一部埋め立てられています。東御門・巽櫓(たつみやぐら)は戦闘の拠点となる大変堅固な造りが復元されています。

安倍川のほとりの刑場跡近くに駿府キリシタン殉教之碑が建てられています。
弥勒(みろく)庵の駐車場にバスを停めさせていただきました。

東海道五十三次の広重の絵にも描かれた宿場町丸子の丁子屋でお待ちかねの昼食、名物とろろ汁を麦ご飯でいただきました。名産の自然薯を原料にした麦とろを、歴史を感じさせる日本民家で味わいました。