「五島巡礼の旅」第1日
ガイドのOさんも絶好調です。
「水の浦教会」は丘の上にに気高く、天に向かってそびえています。
仲良し4人組、学生時代からの親友、素敵ですね。
こんな地面に健気なく、しっかりと咲いている花。神様を一生懸命に賛美しています。
シスター方が丹精していらっしゃる十字架の道行きの丘。お花が咲き乱れてイエス様も喜んでいらっしゃいますね。
のどかな海岸。波がヒダのように続く「高浜海岸」。
ごミサは「井持浦 教会」で捧げられました。
「あなたは今までの人生の中で何度、本当に人を許しましたか?しかも神がなさったように、無償の許しを人に対してしたことがありますか?」
「・・何度人を許したか。神が許すよう無償で、相手に対して謝罪や、その印を条件としないで、神がさいしょから、私たちを子供のように愛し、許し、受け入れてくれたように、私も人に対してそれをしようとしたか。・・私は許された回数を多く数えられる人の方が幸せなのではないかと思っていました。しかし、聖書は許されたことよりも、許すことの方に重きをおいて、アッシジの聖フランシスコの祈りにあるように許されることよりも許すこと、こういう能動性が非常に大事なことなのだと思います。このように許すということに関しては、一点の妥協も残すことなく許し続けるようにと言われました。これを実践すること、しかも生きることに幸せや、喜びを見いだすこと、ここにキリスト者としての本当の高みというか、使命というか、福音を生きる生きることで、喜びを感じる到達点があるような気がします。・・」
朝3時に起きていらした方、心配で一晩中眠れなかった方など、とても疲れていらっしゃるのですが、楽しいお夕食の時間です。
初めてお目にかかる方々。自己紹介をなさりながら、コリコリのお刺身を頂きます。
青木先生と行く聖地イスラエル巡礼7日目
今日も荒れ模様の一日です。
まだ雨の降る前に、足元の滑りやすい石の階段を降ります。
この聖アンナ教会の庭にある池は、イエス様が病に苦しむ人を癒したとされています。
聖アンナ教会は、マリア様の父母が住んでいた場所です。
ここでマリアは誕生しました。
聖堂で青木先生と皆さんで、歌を捧げました。
イエス様が死の宣告を受けた場所からゴルゴダまでの道のりをヴィア ドロロサと言います。
皆さんでこの十字架の道行きを歩きました。
十字架をもって、道行きを巡礼する人達。
イエス様が十字架を背負って歩いたとされる石畳など。
イエス様が十字架にかけられたのがゴルゴダの丘といわれ、そこに建つのが聖墳墓教会です。
ここは、イエス様のお墓とされる場所にたつ教会でもあります。
午後はエルサレムの西郊外にあるエレンカムに移動。
洗礼者ヨハネが生まれたと伝えられる所に建つ、聖ヨハネ教会に行きました。
今日の最後は、マリアの訪問教会です。
イエス様を身ごもった聖母マリアがいとこのエリザベトを訪れたとされるきゅうせきにある教会。
途中にマリアの泉があり、ここを右に曲がって山の方へ登っていくとマリアの訪問教会があります。
マリアの訪問教会でも、青木先生の素敵な歌声が響きました。
青木先生と行く聖地イスラエル巡礼6日目
今日は朝からはれたものの、冷たいかせのふく一日でした。
まず最初に向かったのは、オリーブ山の山頂近くにある教会です。
主の祈りの教会
主の祈りが、世界中の言葉で書かれています。
オリーブ山の展望台で、イエス様が歩いたであろう道を確認しました。
その後、イエス様がエルサレムのほうかいを予言して涙を流され、その涙の形にドームが作られたフランシスコ会の聖堂、主の涙の教会へ行きました。
中はミサ中ではいることができませんでしたが、外でのミサに希望者は参列することができました。
午前の最後は、ゲッセマネの園の教会です。
イエス様が死の前に苦悶の中で祈った岩が、現在のバジリカの内陣にあります。
また現在も園にはイエスの時代からのものとされる2,000年前のオリーブの木があります。
午後はシオンの丘を巡ります。
まずは聖母マリア永眠教会へ。
マリア様の前で、皆で歌を歌いました。
最後の晩餐をしたとされる部屋。
イエス様が捕らえられる前夜に弟子たちと食事をした場所だが、レオナルド ダビンチの絵画とは全く違うのだとわかり、衝撃です。
椅子に座ったのではなく、石の床の上に横になりながら会話をしたと思われます。
今日の最後は、鶏鳴教会です。
ここはペトロが鶏の鳴く前にイエス様を3回否んだところと言われています。
美しいカトリック教会が建てられ、地下にはイエス様が一時抑留されたと言う穴が残っています。
鶏鳴教会のすぐ横には、イエス様がゲッセマネの園からカヤファの官邸に連行された当時のままの道と言われる石畳の坂道があります。
青木先生と行く聖地イスラエル巡礼5日目
クムランにある、死海写本の洞窟とエッセネ派集落を見学しました。
死海写本はクムランに近い岩場で、羊飼いの少年が偶然壺に入った巻物を発見し、やがてこれは、非常に古い時代に書き写されたヘブライ語の聖書の写本であることがわかった。
エッセネ派の人々はエルサレムの司祭たちと手をきり、一つの共同体を形成していた。
祈りと聖書の読書に励み、労働に勤しみ、沐浴を大切にした。
荒れ模様の天気の中、いよいよ死海浮遊体験です。
いつもは穏やかな水面が、海のように波だち流されないようにするのが大変だったとか。そんな中なんとか浮いている方々が!
皆さま戻ってきた時は目は強い塩分で真っ赤、耳や鼻がかなり痛かったようです。
貴重なら体験を、お疲れ様でした。
途中でヨハネの洗礼所へよりました。
ヨルダン川は考えていたよりも小さな川でした。
写真はヨルダン側の洗礼所です。
昼食後、エリコにある世界最古の町を見学しまさた。
ここは海抜マイナス250メートル、世界で最も標高の低い町です。
ここは新旧両聖書を通じてゆかりの深い町で、大切な遺跡の丘がいくつもあります。
その一つが誘惑の山です。
十字軍の時代から、ここはイエスが悪魔の誘惑にあった山として記念されるようになっています。