青木先生と行く長崎、五島の旅2日目
台風一過の青空で、2日目は始まりました。
長崎から五島福江港へ向かう前、長崎くんちのお祭りを少し見学してから、ジェットフォイルに乗りました。
福江港でジェットフォイルからチャーター船に乗り換え、久賀島へむかいます。
修繕を終えて、外観も内装もきれいになった浜脇教会。
牢屋のサコは、久賀島のキリシタンたちが殉教した松ヶ浦牢跡です。
彼らは信仰を表明したために捕らえられ、厳しい拷問をうけ命をおとしました。
敷地内には教会堂とともに信仰の碑が建てられています。
2日目の最後は、旧五輪教会です。
1881年に建てられた浜脇教会の旧教会堂をそのまま移築したものです。
国の重要文化財に指定され、潜伏キリシタン関連遺産「久賀島の集落」に建つ教会です。
今日の宿泊先、えび屋さんに行く前に船上からキリシタン洞窟を見学しました。
ここは明治初めの五島崩れの際、迫害を避けて船でしか行けない険しい断崖の洞窟に隠れました。
しかし焚き火の煙で見つけられ、拷問をうけた場所です。
今夜は皆様が楽しみにしていた、えび屋さんでの夕食です。
美味しいお食事がたくさん運ばれ、お腹も心も大満足な一日となりました。
小西神父様と行く「五島・長崎巡礼の旅」第3日
頭が島教会です。皆さま楽しそうですね。
ここは、ガイドの小田さんの愛する「中の浦教会」です。
「大曽教会」です。こんなに晴れています。階段を上ってきたすぐ前にイエスさまが腕を広げて、「重荷を負うものは私についてきなさい」と待っていて下さいます。
小西神父様と行く「五島・長崎巡礼の旅」第2日
久賀島は五島のどの辺にある島なのです、と、船長・ガイドの木口さんが丁寧に説明して下さいます。
浜脇教会は信徒の汗の結晶です。地元の木口さんのお話には、説得力があります。
五島で迫害が一番厳しかった久賀島の「牢屋の窄殉教者記念聖堂」です。
8歳の子供が、この辛い、ひもじい牢屋の中で、「イエス様の5つの傷について祈らなければならない」と言って亡くなってあます。うじにお腹をかみさかれて亡くなった方とか、信仰を捨てないがために味わった十字架の痛み。
何よりもキリストを選ぶとの、高貴な生き方が、社会から隠れたこの地で生きられていた。
下のベージュ色の絨毯が畳12畳の大きさです。殉教者のたから、信仰の力、神様への強い委託のこころを学びたい。
牢屋の上には監視塔があって24時間監視された。
木口汽船のソレイユから、黄色の奈留海上タクシーに乗り換えます。
世界遺産となった「旧五輪教会」です。ヨーロッパの建築様式を日本の木を使い、折り曲げてリプボールト天井を作る技術は、日本だけのもの。
こんなに素晴らしい天気になりました。空色の船がソレイユ、後ろの黄色が奈留海上タクシーです。
船に乗り換え、奈留島へ。昼食はお刺身定食です。美味しい!
世界遺産となった「江上教会です。生憎、休館日のためにあまり中を見ることはできませんでした。
「奈留教会」でご聖体訪問をさせて頂き、再び海上タクシーに乗り込みます。
この岩の裂け目は、聖母マリア像。似てますか?
そして「キリスタン洞窟」です。
「土井の浦教会」でのごミサでした。
「昨日、生活の質について話しました。久賀島の殉教者たちは、牢屋の中に入れられた時、どのようにキリスト者としての質を高めていったのか。劣悪な環境の中でも、キリスト者としての生き方の質をたかめようとしました。祈り、お互いにはげましあって。そこに至るまで、何でこんな目にあうのかと思うこともあったかもしれません。解放された後も、モヤモヤしたものを持っていたのではないでしょうか。つい最近まで、石を投げられたりしていた。全てが神の思し召しといえる道のりがあった。イエス様の5つの傷について考えなければならないと言った子供。貧しい、教育のない人々が牢屋でイエス様の十字架の苦しみと1つになりたいと願いながら。私たちの日常の生活にも、このようなことが、もっと小さな形で、苦しみとか、辛さとか、寂しさとかとして日常に出てきます。キリストが腕を広げて十字架につけられた姿、この十字架と1つになりたいとの気持ち、これが私たちの信仰の姿です。これを見つめるなら、私たちの信仰の姿、生活の質も変わってくるのでは。今日は日本の205殉教者の記念日ですが、華々しい殉教に目がいってしまうが、そこに至る道を思いながら、自分の信仰生活の質を振り返ってみましょう。」(文責:小池俊子)