松尾神父様と行く「フランス巡礼」第8日
この青い空をご覧下さい。最初の日から、8日間も天気が続くというのはフランスではあり得ないこととガイドさんが話して下さました。
ここはシティーホールです。
遠く聖母像が見える教会で今日のごミサです。
教皇宮殿は、中世の広大な城であり、要塞であり、宮殿です。
教皇宮殿は、アヴィニョン捕囚(1309年〜1377年)の時に教皇が住んだ宮殿です。
当時フランスとローマ教皇庁は対立しており、フランス王フィリップ4世は教皇クレメンス5世に教皇庁の移転を要請、クレメンス5世はアヴィニョンに住むようになります。イタリアは神聖ローマ皇帝によって侵略されており、ローマに帰ることもできなかったのです。
ごミサはこの窓から見え、教皇宮殿の隣にあって聖母のご像の立つ、メトロポリタン・バジリカで捧げられました。
昼食は対岸のレストランで。教皇宮殿とアビニォンの橋が見渡せる素晴らしい場所にありました。
本当に美しい景色と共に
午後は、カルトゥージオ会跡の見学に行きました。
トゥールーズでの昼食は郷土料理の白インゲンとソーセージ、べーコン、鶏肉などのカセロールです。
ルルドに到着しました。
ベルナデッタはマリア様がおっしゃる所の草を手でむしるとそこから水が溢れ出てきました。
巡礼はじめての雨です。これから、夕方のごミサにでかけます。
夜9時からのロウソク行列です。
マリア様、おやすみなさい。今日も、マリア様の御取り次ぎによって沢山のお恵みを頂きました。私たちが、そのお恵みに答えるものとなれますようにお守り下さい。
松尾神父様と行く「フランス巡礼」第7日
今日のごミサは、朝1番でベルナデッタがマリア様のご出現について語られたお部屋で捧げられました。
今日はヌベールからリヨン・250km、リヨンからアビニォン・230kmと移動日です。皆様、車中爆睡です。
アビニォンのホテルでの夕食はまたまた美味しかったのです。
松尾神父様と行く「フランス巡礼」第6日
車中、教会史を教えて下さる神父様です。
「・・教皇様が単独で教義宣言をなさったのは、ピオ9世によるマリアの無原罪の教義と、ピオ12世のマリアの被昇天の教義の2回だけです。この教義宣言のすぐ後にマリアの私は無原罪の御宿りですとのルルドでのご出現がありました。・・」
ヌベールの大聖堂でのごミサです。すぐ隣に聖ベルナデッタが永遠の眠りについていらっしゃいます。
修道院の庭に小さな「聖ヨゼフ」小聖堂があります。
ガイド・ブックに従い、ベルナデッタが毎日通われた庭の隅にある「みすの聖母像」。ここで天の妃を歌いました。
グロットの前で。ベルナデッタにとってグロットは生涯を決定づけた場所です。
ベルナデッタは、ヌベールに着いて直ぐにこの集会場で全員のシスターに聖母のご出現について話すよう言われました。そして、それ以後は決してご出現の話はしないようにとも言われました。
松尾神父様と行く「フランス巡礼」第4日
最初の訪問は聖テレジアが亡くなられたカルメル会修道院です。聖テレジアのご遺体は、この下のお棺に安置されています。
ブイソーネ、ここはテレジアが母を失い、引っ越してきた家です。お姉さん達の修道院への入会、それを追うようにカルメル会に入会されたテレジア。そしてお父さんは心を病んで入院と。聖人の家庭には、主から沢山の十字架が与えられていた。
テレジアが幼少期と青春前を過ごされた家は、お父さん、お姉さん方から沢山の愛を頂いた時期です。
今日のごミサは、幼きイエズスの聖テレジア大聖堂のクリプタで捧げられました。
リジューのレストランでの昼食です。「今までで1番美味しかった」との声があがる、小洒落たレストランでした。
こんなに狭い道、風情のある田舎道を通ってソレムに向かいます。
松尾神父様と行く「フランス巡礼」第2日
昨晩、無事にパリに到着しました。
最初の訪問は、サレジオの聖フランシスコがここで祈り、カルバン派との闘いで回答を頂いた「黒い聖母」が保管されているグルヌーブの聖トマス修道院です。
フランス革命の時に、ブレの聖ステファノ教会からこちらに移され、守られた黒い聖母のご像です。
ガイドのYさん、諦めずに探しあてて下さり、本当にありがとうござました。神父様も皆様も大喜びです。
真っ青な空、美しいパリの景色を車窓から眺めながら、「不思議なメダイ」の教会に向かいます。
こんなに美しいパリの空は珍しいとのこと。神様に感謝!
パリミッション会の「殉教者の間」を訪問しました。
ノートルダム大聖堂が美しく、雄大に青空に向かってそびえています。
パリを後にして、シャルトルに向かいます。空には飛行機雲で作られた沢山の十字架が見えます。
シャルトルのノートルダム大聖堂です。こんなに真っ青な空はフランスでも珍しいとのことです。
ごミサはシャルトルのクリプタで捧げられました。
「今日の第1朗読はステファノの殉教の場面でした。そして、サン・エチエンヌとは、聖ステファノのことです。ステファノ教会にあった黒い聖母像を最初に訪れました。今日は、パリからボウズ平野を通ってシャルトルに行きます。20世紀、シャルル・ペギーは若者のシャルトルへの巡礼をするようになりました。3泊4日で信仰の分かち合いをしながら歩いていきます。私たちの信仰は伝えられて、語り継がれたものです。イエスが主であり、救い主であることを伝えます。船の一点から波が広がり、やがて消えて行くように、私は主であるとの宣言は、何百年という時を経て広がっていきます。ステンド・グラスの説明を聞きながら、大きな船から発した広がりを生きていく、そこを歩いて行くということを感じています。」(文責:小池)
広大な穀倉地帯をひたすらバスで走ります。フランスは本当に豊かな国です。
リジューのホテルでの夕食風景です。皆さま、まだよく召し上がっていらっしゃいます。