塩谷神父様と行く「東北巡礼」第1日

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東北の巡礼が始まりました。車窓からは、こんなに美しい紅葉です。





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巡礼最初のごミサは、「弘前教会」で捧げられました。

 「19章では、エルザレムを見て泣かれた。何度も雌鳥がひなを羽の下に集めるように、呼びかけ、集めようとしたけれど、散り散りに、勝手に自分の方向に行ってしまった。応じなかった。そしてそのためにエルザレムは、破壊されてしまうと言うことを考え涙を流された。エルザレムはローマの軍隊に完全に包囲され、西の壁を残して、それ以外は神殿も全て破壊し尽くされてしまった。キリストは何と惜しいことだ、どうしてそのような不幸が起こるのかと言う。そして、あなたたちが神の訪れの時をわきまえなかったからである。イエズス様がここにきておられるのに知らなかった。その時をわきまえなかった。と言うことがエルザレムの滅亡にもつながってしまった。

 私たちもまた、神が私たちを訪れて下さっている、その時、を見分けることが非常に大切です。その訪れの時、原文では、カイロスと言うことばです。ギリシャ語では、一つはオーラ、他はクロノス、そしてカイロスです。カイロスは自分の人生の大切な時に変わっていったとか。例えば、皆さんとご主人との出会いとか、初めて会ったその日から代わってきた。あるいは、先生とか、人との出会いとか、大きな試練にあって人生が代わったとか。決定的な時に使うカイロスと言う言葉が使われています。つまり、神様が自分の人生の中に決定的に現れた日、その時から自分は代わっていったと言うことです。ところが神様がこられて、雌鳥がひなを集めるように招いても、気づかないとすれば、そこに悲劇があります。神の訪れのカイロスを知らなかったからです。何故、私たちが、今、このみちのくを訪れているのでしょうか?それは、もう一つの神との出会いを訪ね求めている。一つは恵の時、もう一つ始める試練の時です。本当に出会う時、助け合いながら、キリスト教以外の人々のことを考え、訪れの時、神の訪れの時、それは大きな試練の時でもあります。恵の時。大きな訪れの日。殉教者たちが信仰のために命を奪われる、すべてを奪われる時、どのようにして。最も大切なものを犠牲にした。神とともにある命を目指して、殉教していった、沢山の先輩たちの神との出会いの時を、かいま見させて頂きながら、私たちもまた、以前にもまして神と交わり、そしてお互いと一層近くなっていくそのお恵みを祈りましょう。

 私たちはまだ血を流して自分の信仰を証するような機会を持っているわけではないかもしれません。

 今日はイエズス会では、聖アルフォンス・ロドリゲスという聖人の祝日ですが、神学院の受付をしていたブラザーです。華々しい説教もせず、殉教もせず、大きな本も書かず、大修道院の大院長であったわけでもなく、受付をずっとして、人々には親切にして、受付の仕事を忠実に果たす。お客様が来ると、あーイエズス様がいらしたという思いで、いつもキリストを迎えた。そういうブラザー。世間的に見て、何もこれといって偉大なことをせず、隠れた、隠れた人生を送った人ですが、その人を教会は聖人にしました。そしてまた、ブラザーは、祈って、神様と出会っている人ですから、神学生に強い影響を与えました。そのうちの1人が聖人になった聖ペトロ・クラベルという人です。彼は時間があるとブラザーの所に行って話していました。ブラザーから、アフリカで沢山の奴隷が南米に売られて行き、悲惨な生活を強いられていると聞き、ペトロ・クラベルは、アフリカに行き、奴隷の世話をして亡くなっていきました。受付で一生送りながら隠れて生涯を送るもの、他の国の人々のために尽くす人、あるいは、斬首されたり、水責めにあったりして、神への忠実を果たす人々。

 その、原動力は、神からの呼びかけです。その神の呼びかけを聴くことができますように祈りましょう。」(文責:小池俊子)




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弘前教会のSさんが教会のご案内をして下さいました。ご自分の教会への愛が溢れています。