「萩・津和野巡礼」第1日

f:id:jyunrei:20190930131441j:plain f:id:jyunrei:20190930131500j:plain

羽田発で、広島に到着しました。空港から広島駅に向かい3人が合流しました。真っ直ぐ昼食会場です。




f:id:jyunrei:20190930135944j:plain f:id:jyunrei:20190930140034j:plain

f:id:jyunrei:20190930140140j:plain

巡礼最初の訪問は、「世界平和記念聖堂」です。ボランティアの方が教会について説明して下さいました。

1945年8月6日、世界初の原爆投下により広島は焼け野原になってしまいました。

当時、この惨劇に巻き込まれたラサール神父は、バチカン教皇ピオ12世に話し、全世界の人々の心を平和への切望に揺れ動かします。

この「世界平和記念聖堂」は、全世界の平和を渇望する方々からの援助で、1954年8月6日に完成、献堂されました。




f:id:jyunrei:20190930140953j:plain f:id:jyunrei:20190930141001j:plain

ここ広島のカテドラルの祭壇脇には、ファチマでの聖母のご出現100周年を記念して日本の教会を巡り、今はここ広島のカテドラルに安置されている聖母像があります。




f:id:jyunrei:20190930151324j:plain f:id:jyunrei:20190930151717j:plain

f:id:jyunrei:20190930151803j:plain

平和公園」をガイドさんの説明を聞きながら、重い気持ちで歩きました。



f:id:jyunrei:20190930141233j:plain f:id:jyunrei:20190930141456j:plain

f:id:jyunrei:20190930141846j:plain

巡礼最初の御ミサは、「世界平和記念聖堂」で捧げられました。

「今日の福音で、まず弟子たちが、誰が1番偉いかと議論しています。この議論、私たちの現実の生活においては、多くの場合私の方が偉いという論点ではなくて、自分が挨拶されなかったとか、お礼を言われなかったとか、また、自分の嫌いな人を馬鹿にしたり、そういうところに私たち自身の問題があります。私たちは決して自分が1番偉いとかいいませんが、心のどこかで人を蔑んだり、馬鹿にしたりすることがあります。自分が大切にされなかった時の不平、不満は、自分が何かしらのものであるとの思いに結びついているのだと思います。このような病に自分自身が気づいていなければ、自分を不幸にします。どれだけ多くの人が自分は大切にされなかったと思っていて、また、自分のこれだけの努力を認められなかったと、思っていて、これは実は私が1番という傲慢からきているのです。その点、イエス・キリストが教えられたことには深みがあります。今日、イエス様が前に立たせたのは子供です。子供のように小さく、謙遜になることを重要視し、また、ルカは、子供という小さな存在を受け入れることを書いています。このように小さな人たちを受け入れることが私たちの1つの重要なポイントになります。

ルカは十字架の予告をします。しかし弟子たちにはそれが分からなかった。けれども怖くて尋ねられなかった。私たちが自分の人生の十字架を十字架として見ないならば、この世の価値観だけで生きて行く人は、結局、自分は偉いと。私たちにとって十字架を神の御旨だと思い、私の魂にとって1番大切なことは、理性を通しては分からない十字架というものの裏にある。それを謙遜のうちに神の前に謙って見ること、受け入れること。このようなことが私たちを解放して、平和にしていきます。この巡礼の旅を通して私たちの魂が必要としている恵みを神が豊かに与えて下さいますように願いましょう。」(文責:小池俊子)




f:id:jyunrei:20190930154155j:plain

大勢の小学生、また諸外国からの方々も見えました。

平和を願う心は万国共通です。 

「戦争は人間の仕業です。

戦争は、人間の生命の破壊です。

戦争は死です。」

ヨハネ・パウロ2世



f:id:jyunrei:20190930202529j:plain f:id:jyunrei:20190930202546j:plain

ホテルでの夕食です。和気あいあいと新しい友達も増えていきます。