大山神父様と行く「バルト三国巡礼」第5日

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リガのダオガバ川で、朝9時からトライアスロンの大会が始まりました。水泳のスタートです。私たちのホテルの真ん前です。




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ルンダーレ宮殿に向かいます。途中、たわわに実っている沢山のリンゴの木がありました。

宮殿(ウィキペディアより)

ルンダーレ宮殿はラトビアで最も素晴らしいバロック-ロココ様式の記念建造物の一つです。1736−40年にビロン公の夏の宮殿として、ロシアの宮殿を手 掛けたラストゥレリにより建てられました。彼の作品はヤルガヴァやサンクト・ペテルブルグでもご覧いただけます。2階建ての宮殿には138の部屋がありま す。

宮殿の保護のため、足にはプラスチックの袋を履いて入ります。




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おみ足の悪い方々は、フランス式の公園を、ミニカーで回りました。日本語の説明がついてとても良かったです。



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気温は18度と快適です。歩く組みとミニバス組みで、お庭も堪能しました。

左側の若い女性がラトビアのガイド・マダラさんです。彼女とは今日お別れです。




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今日のごミサの予約ができていなかったのですが、十字架の丘にあるフランシスコ会の神父様が本当に寛大にチャペルを貸して下さいました。

「人には二面性があります。神を意識している時と意識していない時の生き方にです。主を意識して生活するのは、信仰に生きるということです。見えない事実を確認すること。見えない存在に心を開き、自分の全てを委ねること、これが信仰です。…

私たちの有限の命、無限の命を支えて下さるのは神。Doing しながら待つのは難しいが、Beingの方が優しい。主は私たちといつも一緒にいて下さいます。」




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ラトビアにお別れをして、リトアニアに入ってきました。最初の訪問地は「十字架の丘」です。

ここには20万本以上の十字架があります。




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十字架の丘の起こりは、1831年、最初のお墓がこちらで作られ十字架がおかれたことに始まります。

1900年には130本の十字架がありました。1963年ソビエト軍がブルトーザーで、この十字架の丘を抹消してしまいます。けれども、その翌日には1本の十字架が立てられ、次第に増えていき、現在、20万本以上あります。

全世界から人々は十字架を持ってここに立てていきます。ある人は願いを込めて、ある人は苦しみの解決を求め、ある人は感謝の心を込めて、十字架を持ってこの丘にやってきます。





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十字架の丘の起こりは、1831年、最初のお墓がこちらで作られ十字架がおかれたことに始まります。

1900年には130本の十字架がありました。1963年ソビエト軍がブルトーザーで、この十字架の丘を抹消してしまいます。けれども、その翌日には1本の十字架が立てられ、次第に増えていき、現在、20万本以上あります。

全世界から人々は十字架を持ってここに立てていきます。ある人は願いを込めて、ある人は苦しみの解決を求め、ある人は感謝の心を込めて、十字架を持ってこの丘にやってきます。