五島列島巡礼第4日目

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今日は五島から長崎への移動日です。

ガイドのOさん所属の「中の浦教会」が海面に美しく映っていました。

 

 

 

 

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前田万葉枢機卿様、島本大司教様などの出身教会「仲知教会」です。

 

主任の本田神父様がご親切に迎えて下さいました。

 

 

 

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長崎での昼食は中華です。コリコリの美味しいお刺身は、昨日で終わり!

 

 

 

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巡礼最後のごミサは西坂の丘、日本26聖殉教者の聖フェリッペ記念聖堂で捧げられました。

 

「今日の福音では、特にマルコ福音書では珍しく立法学者の1人がイエスからお褒めの言葉を頂く場面となっています。福音書では律法学者はイエスの非難の対象になっており、その偽善的な振る舞い、外面と内面の不一致、そういったところがイエスに厳しく批判されています。けれども今日の律法学者は、イエスから褒められています。何が褒められたのかそのことを考える事は、私たちにとっても非常に支えとなります。なによりもまずイエスの示した最も大切な2つの掟。これは神を愛することと人を愛することですが、2つが別々の教えと言うよりは、神を愛する事は人を愛することであり、人を愛することなくして神を愛することはできない。この愛の実践と言う教えを素直に肯定している点です。よく考えてみますと、私たちの生活には人間的な言い訳や、また曲解、そういったものが非常に多くなる場面があります。しかしよく考えてみると大事な事はいくつかで、神の掟、神の教えを素直に受け入れること。もちろんそれを機械的にするのではあまり意味がないと思いますが、自分の納得とか理解とか共感とかに振り回されていて私たちの知性や理性を超えるところにある、つまり私たち自身が完全には理解することのできない神の知恵、神の意向に対して私たちはやたらと蘊蓄を述べたがあるというか、自分の範囲でしかその教えを受け入れない部分を持っています。よく考えてみると、神の言葉も神が教会に残した神の教えと、それを私たち人間がこの限りある知性と理性で理解尽くせる事はありえないことです。盲目的な理解とか共感を無視して、ただ掟を守れば良いと言うことではなくて、私たちが余計な疑問であったり、自分の人間的な考え、経験、価値観を横に置いて素直に神の教えを福音として受け入れる姿勢は、謙遜なものの神の前でのあり方だと思います。そのような所は神を愛し、人を愛するといった律法学者の対応、これが一番大事だといったこと、それを肯定したこと、これがイエスから褒められた理由の一つです。この心に抱く想いを実践していくことが大事ですが、私たちが頂いた恵みを人間的な観点からだけではなく、ストレートに感謝していただくことが大事なことだと思います。シンプルな生き方が必要になってくるのは、例えば、今日、私たちは帰りの船の中で1つの衝撃的なことを目の当たりにしました。結局、人間と言うものは自分の考え、価値観に執着していても、その始まりと終わりを決定する権限もなければ、いただいたものを感謝して大切に生きること、それを捧げて生きることに重要な意味があるように思います。神が与えて下さった命と時間の中で、私たちが何をすべきか、何をしなければいけないかと言う事は、私たちの知恵を超えるところで神が示してくださること。それを必ずしも理解していなくても、理解できない部分があっても、それを大切にいただいて受け入れていく生き方。私たちの知性や理解を超えたところで真理に私たちを引っ張っていくことです。私たちにとって、神が招いてくださるその時まで与えられたものに感謝して生きることができるように、このミサの中で願いたいと思います。」

 

 

 

 

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京都から冬の寒さの中、裸足で約800キロも歩かされた24名のキリシタンに、お世話をしていた2名が自発的に加わり、26名は、西坂の丘で1597年2月5日に十字架の刑で殉教しました。

 

ただイエス・キリストへの愛のため、最後の瞬間まで信仰を生き続けた26名の殉教者。命をかけて生きる覚悟が私にはできているでしょうか?

 

巡礼最後の訪問が終わりました。グループは長崎空港へ。またまた長崎のお土産を買い込まれ、無事に皆様、羽田空港に到着しました。

 

最高の天気に恵まれ、神様の愛が一杯に感じられた、お恵み一杯の巡礼ができました。神様に、マリア様に、そして神父様に心から感謝!本当にありがとうございました。