山下神父様と行く聖地イスラエル巡礼 1日目

イスタンブールからテレアビブへの機内から朝日の昇る外の景色です。

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オリーブの山からエルザレム全体を眺めます。

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初めての方々も結構いらして感激です。

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次は主の祈りの教会へ。

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エス様はここで主の祈りを教えて下さいました。 

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 聖地での最初のごミサです。

 神父様のお話「今日のルカ福音では、エマオでの弟子とイエスの出会いの場面が語られています。これは巡礼最初の日に意味がある福音です。二千年前のイエスの死、人となられた神の子の死と私の救いとの関係は何でしょうか?私の弱さ、不完全さ、苦しみ、弱みとイエスの十字架の死が一つにならないと説明できません。自分の日常の闇と十字架の死が一つにできないことに問題があります。これを生活の中で意識できるかどうか。説明できないのは、自分の生活の中で一つになっていないからではないからではないでしょうか?
  復活においても同じです。私の日常と復活とには何の關係があるでしょうか?1人1人が復活の意義を追求し、その意味を生きること。
  このエマオの弟子たちのことを巡礼の間によく考えなければなりません。2人の弟子は都落ちをしていきます。師が徹底的に殺されてしまいました。2人は前の生活に戻るために歩いています。死の意味が分からなければ、復活もわかりません。絶望や真っ暗な世界を知らなければ復活は分かりません。パンを裂いた時に分かりました。弟子たちがイエスと分かったのは、ミサを通してです。私たちも繰り返しミサに与ることによって、イエスは誰か分かるようになります。イエスは、パンを通して、ブドウ酒を通して、ご自身が誰であるかを示してくださいます。イエスのご復活の意味がよく分かるように。」

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午後、嘆きの壁は大勢のユダヤ人でごった返していました