ファチマの聖母ご出現100周年記念の年に「バルセロナ・アビラ・マドリッド・リスボン・ファチマ・サンチャゴへ」第3日

f:id:jyunrei:20170823184339j:plain

f:id:jyunrei:20170823182537j:plain

f:id:jyunrei:20170824101413j:plain

アビラの黙想の家に6時ごろ到着しました。すぐにごミサです。

「マタイ20章のぶどう園の主人と雇われ人の話です。不公平感がある話ですが、救いは、神が自発的に下さるものです。ぶどう園の主人は神です。正義とか人間的な考えで読むなら不公平な話です。けれども、よりがんばった人が沢山頂くというのではありません。私たちにできるのは、そこにどれだけの愛を込めたか。そして、心は神にしか見えません。救いを与えて下さるのは神のみです。人は雇われたことに感謝すべきです。この箇所を一二回読んだ人が以下のような感想を述べたことがありました。確かに、人間的にみたら、長く働いた人が報われて当然です。一日中働いた人は、ふさわしい報いと安心感を得ている。しかし、五時ごろ雇われた人は、ほとんど一日中不安の中にいた。人は自分が与えられたものに気づかなければ、与えられなかったものにだけ目がいってしまいます。洗礼を受けるということは、神のメンタリティーの中で動くということ。聖書に、先のものが後になり、後のものが先になると書かれています。心の状態は神にしか分かりません。大事なことは自分が神からどれだけ愛され、どれだけの賜物を頂いているかに気づくことです。必要なお恵みをミサの中で願いましょう。」