「スイスでの黙想の旅」第7日

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日の出は6時40分です。朝日に染まるマッターホルン、そして、登山電車で標高3100mのゴルナーグラード

に到着です。

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日本の真夏の日々を過ごされる皆様には、この涼しさ、寒さをお送りしたいです。

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4000m急のアルプスの山々、そして、氷河を見ながら、その偉大さ

、美しさに言葉が出ません。

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登山電車の駅には小さな教会があります。詩編が入口に書いてありました。

 

ローテンボーデン駅からリュフェルベルグまで約1時間のハイキングです。全員の方々が歩かれました。

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湖には逆さマッターホルンがくっきり。楽しい、神様の恵み溢れるハイキングです。

 

昼食は、リュフェルベルグのレストランで日本風チキンカレーでした。

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午後、ツェルマットの聖マウリシオ教会にて、黙想とごミサでした。

 

「聖アウグスチヌスの告白より:隠れた方法で主が配慮して下さいました。モニカとアウグスチヌスは、二人だけで楽しく語り合いました。この世のものが虚しいと思い始めた時、何故、この世にいるのかわかりません。この世で、ただ一つの望みは、お前がカトリック信者になることです。この世で時を過ごすことに何の意味がありましょう。5日後、熱を出し、意識を失います。しばらくして意識を回復して、私は、どこにいたのでしょうと話しました。悲嘆にくれている私たちをじっと見つめて、私をここに葬ってくれるようにと言いました。そして、二人きりになった時、この体はどこにでも好きな所に葬って欲しい。ただ一つの願いは、どこにいても、祭壇の上で私を思い出して下さいと言いました。」

 

「すべての人が母という存在を通してこの世にきました。この巡礼で、大自然という神の具体的な業を観ました。しかし、私たち一人一人の人生には、もっと深い神の業があります。自分の中での神の業を受け、御業の体験をし、自分の努力ではなく、ほとんどのことで神に導かれたことを思い巡らせましょう。神の偉大な業、神の配慮の数々に感謝しましょう。人を悲しみにおとしいれること、痛みや苦しみがあること、それ事態は痛みや苦しみです。が、それを乗り越えた所に、神の深い愛に基づいた配慮があります。日々、このことを強く信じましょう。聖モニカは、息子の回心の後には、この世に望むものは何もないと言っています。神の前で、キリスト教的な教育を与え、カトリックに戻すという大きな業を果たしました。一人の人の忠実な行いがどれだけの善をもたらすか。神の前に忠実であることは、次の世代にも受け継がれていきます。神から遣わされ、神の元に帰っていく。自分の責任ある忠実な行いが、将来実っていきます。ここに人生の意味があります。この数日間の恵みが、

単なる良い思い出ではなく、周囲の人々に配っていく力を、聖母の取り次ぎによって願いましょう。」

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ごミサでのお説教です。

 

「今日の福音はルカ14章から、イエスが食事のためにファリザイ派の議員の家に行きます。御言葉のテーマは謙遜です。2つのテーマがあります。①招待を受けた客のことです。具体的で、この世的な末席に座るようにとの勧めですが、謙遜とはこの世的なテーマでは終らないことです。②誰を招くべきか。貧しい人や体の不自由な人を招くということだけではなく、報いを求めないということ。これだけのことをしてあげたのに、これしか返してくれない。見返りを求めるというのは謙遜ではない自分の姿である。傲慢ではないが、自分を完全に与えていないと見返りを求める。ルカは、天の国の食卓を宴会にたとえています。誰を招きなさいというリストを書いたのではなく、謙遜な人が招かれる場、見返りを求めないという深いメッセージがあらります。見返りを求めている自分がいる。表面的ではなく、謙遜の真の形、自己奉献の真の姿。私たちの謙遜な姿で解決する問題が沢山あります。謙遜な態度で見れば、大分見方が変わってきます。」