生誕200周年に「ドンボスコの聖地を訪ねる旅」ソルデボロの「キリスト受難劇」を観劇 第5日

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アネシーの「聖母訪問会」という観想修道会に聖フランシスコサレジオとシスターシャンタルのご遺体が安置されています。ごミサはこちらでささげられました。

 

聖フランシスコサレジオは良い家柄の人でしたが、性格は余りよくありませでした。そこで彼は自分の性格を直していき、優しい性格に変えることができました。これが教育のプロセスとなり、彼は人間関係がうまくなり、ジュネーブの司教様になられました。一樽の酢より、一皿の蜂蜜で、私に魂を下さい。自分を磨いて優しい人になり、7万人以上の人がプロテスタントから改宗しました。無理に入れるのではなく、人を安心させるパーソナリティーになっていらした聖フランシスコサレジオの精神がドン・ボスコの精神になりました。・・・」

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1度も司教としてジュネーブで働かれなかった聖フランシスコサレジオは、アネシーで多くの魂のために働かれ、アネシーで亡くなられた。

 

アネシーのガイドさんは、メリーポピンズになりきっているような可愛い方でした。

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アネシーからジュネーブまでバスで、ジュネーブからは美しいアルプスを下に眺めながら、ルフトハンザ航空でローマに到着しました。夕食は10時、召し上がった勇敢な方々は約2名でした。