山下神父様と行く「聖母ご出現の地メジュゴリエ巡礼」第5日

メジュゴリエでの最後のごミサです。
「聖アウグスチヌスは、私たちの信仰の真価が問われるのは誘惑に会う時であると言っています。すべてがうまく行っている時ではありません。イエスが悪魔から誘惑を受けられたことについて考えてみましょう。40日間というのは、ある一定の長い期間をいみします。イエスは何も食べず空腹を感じられます。悪魔は石をパンに変えるようにと誘惑します。これは単に食べ物への誘惑ではなく、物質的なものへの誘惑、生理的欲求、生活を快適にする物質的なものへの傾きなどです。三つの誘惑への答えは旧約聖書からです。物のみで生きるのではない。」
「高い所に連れて行き、もし私を拝むなら、この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう、と言われる。これは目に見えない権力、名声、人からよく思われ、良い評判などを求め、人から悪く言われると傷つくなど、名声や評判に縛られている私たちの状態です。それに対し、イエスの答えは、あなたの神である主に仕えよ。目に見えないものを求める時、神だけに仕えるようになる。人間関係で苦しむ時、うわさ話や、自分に関する言葉に傷つく時、神の前で生きる自分が、生き方の基盤になるように変わらなければ、人のことを気にしすぎて生きることになります。神の御前で生きることの大切さ。」
「最後にエルザレムの神殿から跳び下りるようにとの誘惑は、神を試す誘惑であり、信仰の誘惑、試練にある時に感じる誘惑。神はいないのではとか、目の前の楽しいことの方が楽だなどはもっとも大きな誘惑です。私たちは弱い人間であるが、神を試す行為をしてしまいます。時には苦しみの中の叫びであることもあります。神がいないと言うことは大きな罪です。三つの誘惑に対してイエスの答えは人はものだけで生きるのではないこと、神に従い、信仰を持って神に委ねて生きることです。なかなかこのようには生きることはできない。しかしイエスご自身が誘惑に会われ、私たちの弱さを身をもって体験された。人間の弱さを理解して下さる神。だれよりもご存知なキリストに希望を見出だす。神のあわれみがあり、今からを生きていく力をも与えられる。イエスに希望をおき、弱さの中でも、私たちは一人ではありません。また誘惑にあるものの守り手、第一の取り次ぎては聖母。イエスととめに神の御国で歩んで行くことができますように。一緒に祈って行きましょう。」




メジュゴリエを後にサラエボに向かいます。
途中、羊の丸焼きをしているレストランがありました。おいしそう!

ガイドさんがサラエボの町を案内してくれました。
メジュゴリエは本当に暖かく晴れ渡っていたのですが、ここサラエボは重い雲におおわれ寒いです。
歴史の重さを反映しているよう。

巡礼「最後の晩餐」はサラエボ旧市街の「Pod Lipom」というレストランで郷土料理を頂きながら、皆様が感想を話して下さいました。
祈り、祈りの充実した日々、メジュゴリエの聖ヤコボ教会は夕方5時のロザリオから続く週日のごミサにも大勢の方々が与っていらして、祈りの力を感じる神秘的な町だった。
登山の準備をしてくるべき。
将来、老後を過ごすのに理想的な場所を見つけました。
ロザリオの祈りの大切さを強く感じました。



毎日の美しい夕焼けを見ながら涙がでました。
 突然決めて参加したけど、自分の生き方に大きな変化があり新しい気持ちで新たな生活をはじめられます。
 もっと祈らなければと感じました。
十字架の道行の言葉が心に突き刺さり涙がでました。いつもは旅行から帰る時、帰りたくないと思うけど、今回はやる気を持って帰れます。
山登りは本当に大変だったけど、皆様の助けでできました。など全員が心いっぱい、お恵みをずし〜んと感じる旅でした。「ありがとう神様ありがとう!ありがとうマリア様ありがとう!」

レストランの前にせっかく並んで下さったのに見えません。
心もお腹もいっぱいの皆様の笑顔が素敵です。