「ダ・ヴィンチ コード」その1

今世界的に話題になっている映画「ダ・ヴィンチ コード」。
ステラのスタッフそれぞれはどのような感想を抱いているだろうか。
ブログで紹介していくことにしました。まずは社長から。

ダヴィンチ コードについての一考察

この本はあくまでもフィクションである。にもかかわらず、作者、ダン ブラウンはあたかもキリスト教信仰の根幹を揺るがすかのようなアプローチを試みようと努力し、あわれなことに、世界の数名のダビンチ研究者と呼ばれる人々は、この著者の誘導策略に乗せられ、彼をサポートしている。意図的にキリスト教の世俗化、神なるキリストの人間化を目指す目的で必死になる作者の人間性が見え隠れするような作品に思えてならない。

5月20日のテレビ放送は日本のメディアの浅薄さを露見していたと思われる。少なくともこのように宗教的なテーマを扱うのであるなら、その中心的なテーマについての聖書の箇所を読み、キリスト教徒が信じていることについて予備知識をもってから、取材に当たり、世界のあちこちを訪問することが常識なのではないだろうか。
 

それは、世界人口の四分の一強に当たる21億ものキリスト教徒への無礼でもある。聖書の記述をよく読み、内容に触れるなら、キリストに寄り添っていたのは、弟子の1人ヨハネだということは明白である。まだユダが自殺していないこの場面では、弟子は12名である。もし、マリア マグダレナがあの場面にいたとするなら、弟子の数は13名になっていなければならない。
 
勿論マリア マグダレナはすべてを捨てて彼の跡に付き従うほどキリストを愛した女性である。そして、このキリストを愛する心は、12人の弟子も、マリア マグダレナの心に勝るとも劣らなかった。十字架の死を迎えるキリストのことを、「あの人を知らない。」と三度否んだペトロに、御復活後のキリストは、「ペトロ、貴方は私を愛していますか?」と三度尋ねられる。ペトロは「愛しています。」と二度答え、三度目には、「私が貴方を愛していることは、貴方がご存知です。」と涙ながらに答えるのである。
 
食事もせず、空腹の中、食事よりもキリストの口からでる福音を聞くためにキリストの跡についていった5千人以上の人々も、キリストに王様の姿を見、すごい魅力を感じたからどこまでもついていったのである。この人なら自分たちを救ってくれるとの確信を得たからついて行った。裏切り者のユダでさえ、首をつって死ぬ前に、手に入れたお金を投げ捨て、キリストに見捨てられたと思い込み、絶望して自殺してしまった。彼もキリストを心から愛していたから、裏切りの代償としてもらったお金など何の喜びも感じなくなって、絶望してしまったのである。

 
全く宗教的でもなく、聖書も読んだこともないと思われる1人の日本人女優と、日本では知られているらしい絵描きさんなどがテレビ番組の中で、完全に「ダ・ヴィンチ コード」の作者の思う壺にはまり、この小説、この根拠のない作り話を、小説としてではなく、あたかも実話であるかのように受け入れ、浅はかに浮かれながら、花を添えている姿は不愉快極まりない上に、彼らの常識をも疑ってしまう。この小説はキリスト教を卑猥な、薄っぺらな宗教として、俗化させることによって金儲けのために使い、非常に残念なことに、その甘い汁を吸おうとする俗人達が周囲を面白おかしく立ち回り、その信仰に命をかけて生きる人々を愚弄している。
 
以前、これについて扱った番組では、少なくとも数名のバチカン関係者もインタビューを受け、カトリック信仰について言及していたため、考え方にバランスが取れていたと思われる。そのため、カトリック信徒である私でも聞いていて不快感は少なく、結論は各視聴者の判断に任されたように感じた番組であった。しかし昨日(5月20日)のプログラムでは、残念なことに、それも省かれ、非常に薄っぺらな、より虚構に満ちたものとなっていたのではないだろうか?これは、映画を客観的に捕らえようとする努力ではなく、映画「ダ・ヴィンチ コード」をより多くの人に見させるための宣伝以外の何ものでもない。
 

 このように虚構に満ちた扱い方をされたレオナルドは何を思っているだろうか?
 
レオナルドがミラノに滞在したのは、1482年から1490年。彼は人生の中で円熟期を迎えていた。この時期、彼の名声は全イタリアに知られるようになる。ミラノで始めて、フィレンツェ スタイルでもロンバルド スタイルでもない、レオナルドのスタイルが完成された。「岩窟の聖母」に次いで描かれたのが、サンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会の、かの有名な、世界の至るところに知られ、芸術的にも宗教的にも非常に優れた作品、「最後の晩餐」である。この作品ほど、広く模写され、タペストリーや木彫、絵として残され、マテオバンデーロやゲーテによっては詩にも引用されているような作品は他に類をみない。ゲーテは1788年5月、「最後の晩餐」を初めて見た後にこの作品について言及している。
 
レオナルドの最後の作品は、1499年フランス軍がミラノに侵入した時に描かれた「聖アンナと聖母子」の絵である。これは、現在、ロンドンの国立美術館にある。
 
ミラノのロドビコ伯は、ドミニコ会のサンタ・マリア・デレ・グラチエ教会をロドビコ家の教会と定め、また墓地もそこに指定した。1492年ブラマンテに依頼して、聖歌隊の部分を作らせ、1494年にはレオナルドに「最後の晩餐」の絵を依頼する。この絵は食堂の北側の壁に描くよう指示された。レオナルドは準備を始め、スケッチを作成し、フレスコ画にとりかかった。1495年から1498年の3年間を費やして、この作品が出来上がる。
 
レオナルドは作品を始める前にミラノのスラム街を歩き、貧乏で苦しむ人の顔をスケッチしたり、町を歩き回って、いろいろな人々の顔を描き、全力を投球して準備にとりかかった。
 

  • 「最後の晩餐」

この絵では、裏切り者のユダはキリストと同じ側に座っている。他の弟子達が裏切り者は誰かとざわざわしている時、ユダだけがその全体の動きに呼応していない。自分の裏切りという大それた行為に狼狽し、孤立している。
 
そして、弟子達は、3人ずつのグループに配列され、それぞれの驚きが描かれている。キリストの「あなた方の1人が私を裏切るであろう。」との言葉に弟子達はうろたえる。(マテオ、24:21)
バックの景色の静けさとは対照的に、キリストと弟子達の間には、「それは誰ですか?」との驚きと緊張状態がある。「弟子達は、誰について言っておられるのか察しかねて、顔を見合わせた。イエスのすぐ隣には、弟子達の1人で、イエスの愛しておられたものが食事の席についていた。シモン ペトロはその弟子に、誰について言っておられるのかと尋ねるように合図した。その弟子がイエスの胸元に寄りかかったまま、‘主よそれはだれのことですか?’と言うと、イエスは‘私がパン切れをひたして与えるのがその人だ’と答えられた。」(ヨハネ13:23〜26)

この絵の中心的なテーマは勿論、キリスト教的な救い、過ぎ越し祭の晩餐をともに過ごされる、キリストと弟子達、その時にキリストが制定された、ご聖体の秘跡である。けれども、絵の中心を動かしているテーマはユダの裏切りと、他の弟子達の驚きであり、絵全体を支配する静と動の雰囲気である。
 
ダ・ヴィンチ コード」の作者はこのような宗教的かつ崇高な場面を、キリストの妻となったマリア マグダレナと言い、Mという形をマリア マグダレナと断定している。このMという形については、各自異なった判断ができると思われるが、私は、キリストがこよなく愛した母マリアのMと解釈した方が自然なのではないかと思う。また、強いてこの形をMと決め付け、浅薄なアイディアを人に思い込ませる必要は全くないのでもある。レオナルドが研究し尽くした、黄金比や、安定感のための三角形であり、この小説のキーとなっているMの字の根拠は非常に偏った考え方から生み出されている。


キリスト教徒、特にカトリック者にとって多くの矛盾点がこの原作にはあるように思われ、まだ、私は映画を見ていないが、2000年の間、多くの信徒が命をかけて信じ、生き、歩んでいるキリストの教えを、非常に世俗的、かつ、嘲笑的に扱ったこの小説と映画は読んだり、鑑賞するには値しないと考えている。


キリストはその生涯を通して、十字架上での処刑の時に、また、復活された後にでも多くの敵に囲まれていた。それは、キリストが何か悪いことをしたからではなく、ただ良いことをし続けたからである。良いことをし、多くの信奉者を持つ人を、ある種の人たちは嫉妬する。そして、彼をその人々の関心とか、愛、絶対的な信頼対象から引きおろそうと最大限の努力を払う。
特に、幼少期、青年期をキリスト教的な環境で育ち、その環境から逃げようともがいている人たちは、キリストにこのような形でつばを吐き、鞭打つことがよくある。それは、愛へ移行する過程なのかもしれない。ユダがキリストを裏切った後、生きる価値は物質的な富ではなく、人間的な愛、信頼関係であると悟り、自殺してしまったように。