山内神父様と行く雲仙、島原、天草4日目

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今日も朝から気持ちの良いお天気です。

皆様朝晩と毎日温泉に入り、身体も心もリフレッシュしているようです。

 

最終日の今日は、まずは大江教会へご聖体訪問です。

大江教会は、ガルニエ神父が82歳でこの地で亡くなるまで40年間布教に努めました。

自らの私財と信者たちの寄付金や労働奉仕により1993年鉄川与助の設計施工により建てられました。

 

堂内には、外海の出津教会のドロ神父による5枚の版画もあります。

 

 

 

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大江教会では、シスターも堂内の説明をしてくださいました。

 

 

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次は崎津教会です。

1888年潜伏キリシタンとして信仰を続けた信者から土地の寄付を受け、木造の、旧崎津教会が建てられました。

教会の老朽化に伴い現在な崎津教会が完成します。

この教会も鉄川与助の設計施工によるものです。

禁教期に絵踏が行われていた庄屋役宅跡に建てられており、復活の象徴でもあります。

 

 

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崎津教会でごミサです。

山内神父様の先輩である、崎津教会主任司祭の渡辺神父様もいらしてくださいました。

 

 

この教会は庄屋屋敷跡に建てられたと言う事で、教会の復活をシンボリックに表しているような気がします。

1700年代のキリシタンにたって厳しい時代、絵踏が行われていたにも関わらず信仰が受け継がれ続いていたのはすごいことですが、不思議にも感じます。

なぜ信仰が現在まで続いたのでしょうか。

その答えは、苦しいけれど次の世代に信仰を伝えようとしてくれた人がいたこと。

絵踏をしても、家で回心の祈りをとなえて信仰を取り戻し、次の世代につなげていったのでしょう。

そこには言葉では表現できない、信仰の姿があります。

というようなお話しがありました。

 

 

 

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ミサの後、聖堂の外の休憩所で冷たいお茶を用意してくださり、皆で楽しくおしゃべりをしました。

 

 

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今日最後の訪問地、河浦コレジオ館です。

天草河浦の地には、宣教師を養成する大神学校(コレジオ)が1591年〜1597年までの間、開校され西洋文化が花開きました。

これらの歴史と文化を紹介する施設です。

 

ここには天正少年使節団が持ち帰った、グーテンベルク印刷機の複製が置いてあります。

これで日本初の金属活字による印刷が行われました。

また天正少年使節団が乗した同型の南蛮船の模型や持ち帰った楽器(複製)などもあります。

 

 

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コレジオ館の続き。

西洋楽器の中には、竹のパイプオルガンもあります。

こちらでは館長さんがいらっしゃるときは、弾くことも可能です。

 

 

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昼食を食べ、途中の休憩所では山内神父様と皆でソフトクリームを食べ、バスの中でも楽しい時間をすごしました。

たくさんのお土産を買い、熊本空港から家族の待つ自宅へと帰りました。

山内神父様と行く雲仙、島原、天草3日目

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宿泊したホテルシーサイド島原で集合写真です。

 

 

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今日はフェリーで、口之津港から鬼池港(熊本県)へ向かいます。

フェリーに乗る前、近くにある『南蛮船来航の地』を訪れました。

キリシタン布教の根拠地とし、また西洋文化の窓口として栄えた場所です。

 

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鬼池港に到着後、まずはアダム荒川殉教の地へ向かいます。

 

神父から志岐教会の世話を任されていたアダム荒川は、棄教を迫る拷問を受けて、裸で引き回され、1週間柱に吊るされ60日間キリシタンの家に預けられた後、城内に幽閉され、翌日斬首されたという場所。

 

 

 

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殉教公園内を通って、天草キリシタン館へ。

 

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アルメイダ顕彰碑。

城山公園内のキリシタン墓地の前には、福者アダム荒川の顕彰碑と共に、こどもを癒すアルメイダの姿のレリーフがある。

 

 

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天草キリシタン館。200点あまりの資料を展示して、伝来から復活まで、天草のキリシタン史を紹介しています。

国指定重要文化財天草四郎陣中旗を所蔵しています。

館内は写真不可です。

 

 

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今日の最後は、本渡教会でごミサです。

ここは聖パトリックに捧げられた教会です。

 

以前この教会にいらしたプロバン会のデイキン神父様と親交のあった山内神父様。

天草の生活が大好きで、信者でもそうでない人もとにかく地域全ての人を大切になさっていたと、懐かしそうに想い出をお話しになりました。

 

またお説教の中で、今日訪れたアダム荒川やアルメイダは、多くの人のため、信徒のために命を捧げるすばらしさが見えます。

 

 

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巡礼の旅最後の夕食です。

楽しくおしゃべりをしながらのお食事の後、

山内神父様のすてきな歌声を披露していただきました。(二曲も歌っていただきました!)

その後、1人ずつ三日間の感想を分かち合いました。

今日も充実した夜となりました。

殉教とは、こらまでの人たちの姿をみて、色々な事を教えられる。

それを自分の中にどうとりいれていくのか考えましょう。とのお話しがありました。

山内神父様と行く雲仙、島原、天草巡礼2日目

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島原教会でごミサです。

 

山内神父様から、教会内のステンドグラスについて一枚ずつ説明がありました。

そして、以下のようなお話しに続きます。

 

今日の第一朗読の箇所

主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。

福音朗読箇所

敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。

 

これらは巡礼にふさわしい箇所です。

パウロ内堀、マグダレナ林田、中浦ジュリアン有馬晴信などさまざまな人の人生の姿を見て、自分たちの信仰のあり方を振り返ってみるのもよいのではないてましょうか。

山内神父様と行く雲仙、島原、天草巡礼2日目

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今日は曇り空の朝です。

まずはじめは、島原教会です。

八角形は「真福八端」、マタイ福音書山上の説教の真の8つの幸せの教えを理念としています。

またドーム型は、人間の意識が天に高揚するため。だそうで、この教会の外観も聖堂も、たくさんの

意味が込められてつくられています。

 

 

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聖堂内のステンドグラスは、島原半島の殉教をとりあげています。

誕生の神秘

有馬のセミナリヨ、4人の少年使節

 

苦しみの神秘

波間に沈む内堀三兄弟殉教者

有馬の8人の殉教者

 

 

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聖堂内部

 

 

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次は霊丘公園です。

ここは内堀三兄弟が殉教した有明の海が一望できる場所です。

ここで殉教した幼い子どもたちのことをおもいながら、皆でお祈りを捧げました。

 

 

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お昼は地元でとれたお魚いっぱいの海鮮丼です。

皆様喜んでめしあがっていました。

 

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午前中に伺った、島原教会で。

ミサの後、シスターがお茶の用意をしてくださいました。

主任司祭の山田神父様もいらしてくださり、楽しい時間を過ごしました。

 山内神父様と山田神父様は、神学校で一緒に生活をしていたそうで、昔に戻った感じでお話しなさっていました。

 

 

 

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原城跡。

有馬はるのふが築いた城郭です。1637〜1638年にかけて起こった島原、天草一揆では、廃城となっていた原城が、一揆勢の拠点となりました。

 

ホネカミ地蔵

原城跡に残されていた遺骨を拾い集めた地蔵塔です。

天守台跡

見晴らしの良い場所にありました。

天草四郎のお墓

城壁跡など

東京ドーム40個分の広さがあるそうです。

 

 

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領主有馬氏の居城跡。

1584年に龍造寺氏を撃退したキリシタン有馬晴信は、有馬のセミナリヨで学んだ4人の少年が1590年にローマから戻ると新築の城に招いた。

2000年の発掘調査で、仏塔をつかった階段遺構や切石技術をつかった独創的な石垣が発見され、有馬晴信の権力と仏教を排してキリスト教を保護した歴史がうかがえる。

 

 

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今日の最後の場所、有馬川殉教巡礼地に行きます。

1612年に、有馬直純が宣教師を追放し、有馬領に禁教令がだされると、1613年10月7日、棄教を拒んだ有馬の家臣やその家族あわせて8人が大勢のキリシタンが、見守る中、城の前の中州で火刑となる。

2008年に8人は福者となる。

 

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高濃度炭酸泉の温泉につかり、さっぱりした後夕食です。

自己紹介をし、たくさんの話題に花が咲き、夕食の解散が21時をすぎてしまうほどでした。

山内神父様のいつもにこにこした優し笑顔で、良い雰囲気の中、巡礼を続けていけそうです。

山内神父様と行く雲仙、島原、天草巡礼1日目

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ベトナムから5月に戻られた、パウロ会の山内神父様との巡礼です。

8時15分発の飛行機で、長崎空港に向かいます。皆様、朝からお元気です。

 

 

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長崎空港から千々石ミゲルの故郷、千々石で昼食です。

お天気も良く、素敵な展望でした。

 

 

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今日は雲仙教会でのミサです。

雲仙教会のステンドグラスは、250年にもおよぶ過酷な弾圧と司祭不在の中で、なぜカトリック教会は滅びず、信仰は伝わっていったのか。

それを黙想するために製作されたのだそうです。

 

 

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ミサの中で、雲仙教会のステンドグラスの説明がありました。

今回私たちは殉教の場所を実際に見て、信仰のために生きた当時の人々の姿がよく見えてくるでしょう。

ステンドグラスも、殉教とはなんなのか、信仰がどのように広がっていったのかを考えていく大切な資料となっています。

島原天草で起こったことを味わいながら、この巡礼の旅をすすめていきましょうとのお話しがありました。

 

 

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雲仙教会から少しいったところに、雲仙地獄はあります。

硫黄のにおいがする中、殉教碑の場所で皆でお祈りをしました。

 

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雲仙地獄

中谷神父様と行く生月、黒島、平戸4日目

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最終日の今日も、良いお天気です。平戸から2時間かけて外海方面へ向かいます。

黒崎教会は1920年、出津町に赴任してきたフランス人宣教師ド・ロ神父によりたてられた。

教会の建設計画は23年の歳月がかかりました。

内部はゴシック調で三廊式コウモリ天井や整然と並んだ柱など美しく厳かな雰囲気が漂っています。

 

 

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中谷神父様のお話し。

今日でこの巡礼の旅は最後になります。

たくさんの出会いがありました。

神様と自分との出会いがあり、神様の計画があるのだからどんなことがあっても落胆することなく時間を通してよい時に良いわざをしてくださるのを待ちながら、日々を過ごしましょう。

命をいただいた神様のもとに私たちはいつかかえるのです。

巡礼は心の旅、人生の旅です。神様の愛を深め、終わりの時に神様のもとに帰るまで心を落ち着け感謝を込めて祈り続けましょう。

 

 

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遠藤周作記念館を見学し、昼食場所に向かいました。

 

 

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昼食後、出津教会に行きました。

出津教会 は1879年にドロ神父が出津に越任し、信者とちからを合わせて完成させた。

強い海風に耐えられるように屋根を低くした木造平屋で、しっくいの白い外壁は山の緑に映え、清楚な佇まいが美しい教会ですり

外国人神父の設計なよる初期教会として2011年に国の重要文化財に指定されました。

 

 

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次はド・ロ神父記念館です。

ド・ロ神父はパリ外国宣教会の宣教師として28才で来日しました。74才で亡くなるまで日本で過ごし、そのうち33年間を外海の人々に仕えようと意をつくし、貧しく厳しい生活を強いられている人々を救うため、社会福祉や産業開発などに力をつくしました。

アレクサンドル社コリードオルガンド・ロ神父保育所のために購入したもの。

現在でも演奏可能です。

 

 

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救助院 。ここでは綿織物の製糸から製織、そうめんやパンの製造、醤油等の醸造が行われていました。こちらにも当時の最新のオルガンがあります。

 

 

午後は少し急ぎ足になりましたが、無事に行程を終え、長崎空港へ。

皆さまたくさんのお土産を購入し、17時10分長崎から羽田に帰りました。

というようなお話しがありました。

中谷神父様と行く生月、黒島、平戸巡礼3日目

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田平教会でごミサです。

中谷神父様のお話し。

この教会に来て心が静かになるような気がします。

今日の使徒言行録の箇所にも、対立や迫害は内からも外からもおこなわれていました。

殉教者もイエス様もパウロも、悩みを持ちながら、しかし希望を持って歩み続けました。

私たちも日々悩み苦しみながら自分の道を歩んでいます。

お互いに祈って歩みながら、神様からお恵みをいただきましょう。

というようなお話しがありました。

 

 

 

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ザビエル記念聖堂は改修工事中のため、中を見学するすることができませんでした。

 

 

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昼食前に塩断崖により、自然のすばらしさにふれました。

 

 

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次は山田教会とクルスの丘公園ガスパル様です。

 

山田教会は1878年から平戸方面を担当したペルー神父の働きによって、ようやくかくれきりしたこらカトリック信徒となる人が現れた地区。

1912に鉄川与助が設計、施工。

今日はシスター崎田が教会と公園を案内してくださいました。

 

 

 

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山田教会には、悲しみのマリア様のご像があります。

これは昔、黒島から風呂敷で包んで背負ってきたそうです。

悲しみのマリア様は、手を下でくんでいる珍しいご像です。

 

 

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クルス殉教公園は、この地で殉教さたガスパル西衣可を記念して建てられた巨大な十字架がある場所です。

 

 

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今日の最後は紐差教会です。

今回どこの教会も、観光客は増えたもののマナーの悪さがひどいことから3時には閉まってしまう所や、事前に申し込まないと鍵がかかって入れない場所が多くなりました。

紐差教会は、カトリック信徒、カクレキリシタン仏教徒が混在する紐差に1885年に建てられた。

その後カトリックになるカクレキリシタンも増え、仏教徒の集団改宗もありました。

現在の教会は鉄川与助が設計、施工。

日本で最初の鉄筋コンクリートの教会です。