ステラコーポレーションブログ-星空経由の伝言板~カトリック聖地巡礼からの便り~

巡礼旅行会社ステラコーポレーションのブログです。巡礼地からの様子をご紹介していきます。

「五島巡礼の旅」第2日

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昨晩の宿泊は、「コンカナ王国」。遠くに見えるのが朝食のレストランです。






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福江から久賀島に入りました。五島で1番多くの殉教者を生んだ島です。

畳12畳に男女が分けられ200人、8ヶ月間牢屋に入れられていました。足の踏み場もなく、垂れ流しの非衛生極まりない牢屋の中で、毎日芋一本が与えられたそうです。

信仰を生きるため、イエス様を裏切らないため、必死に命をかけた信徒の高貴な生きざまに涙が溢れます。




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この信仰の碑には生存者のお名前が書かれています。

ただ、イエス・キリストへの信仰のために、これほどの拷問を耐え、命をかけられた200名の方々。キリスト教迫害時代に高貴に信仰の自由を生きられた証し人に少しでもあやかれるものとなれますように。




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久賀島の旧五輪教会は世界遺産です。こんな倒れかかったような教会が世界遺産になる、このようなことは人の目では理解し難いこと。この裏には、長い信仰生活に命をかけ、生きた方々の存在がある。




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お花もこんなに喜んでくれてます。




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船長の浜ちゃんが「キリシタン洞窟」に案内して下さいました。

突風のために波が高く、洞窟に上がることはできませんでした。




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奈留島世界遺産江上教会」です。信徒の方々が柱も手書き、窓ガラスも手書き、教会の外部も自分たちで造った教会です。大切に守りたい!

奈留教会のダニエル神父様が、巡礼団を温かく迎えて下さいました。




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奈留島の「奈留教会」です。祭壇脇に「都の聖母像」が置かれていました。フランスの教区司祭、ロバン神父様の強い思い日本の教会に一日も早く信仰の自由が訪れますようにとの思いが託された聖母像です。




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ごミサは桐教会で捧げられました。昨日、桐教会に赴任なさったシスターMとは、長崎の大波止港でお目にかかり、そして今日の再会です。




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1987年に建立された「信仰の先駆者顕彰碑」が大浦天主堂方向を指差しながら建てられました。

ガスパル与作と父・パウロ善七、ミカエル清川沢次郎を顕彰しています。

今日の神父様のお説教:

「先程、キリシタン洞窟を通ってきました。三家族が数ヶ月間生活したところです。天の国の大いなるものとして、私たちは殉教者を讃えます。信仰を守るために様々な逆境に立ち向かう。その大事ものを守り通した人を、たとえこの世で命を奪われても、永遠の命に至るその真理を守った人を、天の国で大いなるものと呼びます。

人間と言うのは本当に不思議なもの、かつ弱いものであり、自分の敵がはっきりしている時、つまり、逆境にあるときは真理を生きるために必死になることができますが、全てが自由になって思い通りに何でもできる社会になると、何が一番大事なことかわからなくなります。そういう一面を持っていますし、今と言う時はそのような時代なのだと思います。もちろん人間が自由に宗教も信仰も価値観も自分の考えに従って選ぶことができる、それ自体は素晴らしいこと、良いことです。けれども、全てが選択可能になってしまうと何か一番大事なものがわからなくなってしまいます。ここには、キリシタン時代・迫害時代と今の決定的な環境の相違があります。

神様の言葉が永遠でありかつ真理であるのは、例えば今日の御言葉を読むとよくわかります。律法や預言者と言う言葉が出てきたら、それは旧約聖書のことと置き換えてもらって良いことなのですが、イエス様は旧約を廃止するためではなく、完成するためにきました。モーゼを通して人に与えられた律法を守るか、守らないかが、私たちの民族のアイデンティティーでは無いですが、私たちにとってこの旧約の教えはいろいろなことに置き換えることができるかもしれません。この世的な常識であったり、大切なこと、守るべきものであったり、一般的な正義や価値観であったりと。私たちはそれぞれが置かれている場所でやるべきことがちがいます。そして、その小さなことを果たしていく、小さなことに重きをおける人でなければ大きなことを完成させる事はできません。人間の弱い一面で慣れと言うものを持ってしまいます。人間には、必要な事としての慣れもあります。新しい職場に、学校に、その生きている場所に慣れなければいけません。しかし、悪い意味での慣れは、適当に自分の都合の良い所だけ、また、人によく見えるところだけをうまく見せようとする。そうゆう弱さを抱えている私たちには、小さなことを大切にする今日の福音は真理であると思います。逆境や迫害の生き方においては、小さなことを守るのは当然の環境になってしまいますが、私たちはそういう点で信じる自由を恵みとして頂いている以上、一応自分の生活の小さなことに重きをおける人にならなければ、その人生も信仰も私たちの魂自体が永遠なるものに向かって動いていかなければならないと言う事では無いかと思います。殉教者たち、信仰を守り抜いた人は、逆境の中で小さなことを守るのは当然の世界に生きていました。私たちが水自ら、小さなことを大切にする決意が必要であると言うこと。この決意のために必要な恵みを聖母を通してこのミサの中で願いたいと思います。」





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「えびやさん」の大ご馳走です。次から次へと平らげて、心も身体も満たされた一日。神さま、ありがとうございます。