小西神父様と行く「五島・長崎巡礼の旅」第2日

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久賀島は五島のどの辺にある島なのです、と、船長・ガイドの木口さんが丁寧に説明して下さいます。

浜脇教会は信徒の汗の結晶です。地元の木口さんのお話には、説得力があります。

 

 

 

 

 

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五島で迫害が一番厳しかった久賀島の「牢屋の窄殉教者記念聖堂」です。

8歳の子供が、この辛い、ひもじい牢屋の中で、「イエス様の5つの傷について祈らなければならない」と言って亡くなってあます。うじにお腹をかみさかれて亡くなった方とか、信仰を捨てないがために味わった十字架の痛み。

何よりもキリストを選ぶとの、高貴な生き方が、社会から隠れたこの地で生きられていた。

 

 

 

 

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下のベージュ色の絨毯が畳12畳の大きさです。殉教者のたから、信仰の力、神様への強い委託のこころを学びたい。

牢屋の上には監視塔があって24時間監視された。

 

 

 

 

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木口汽船のソレイユから、黄色の奈留海上タクシーに乗り換えます。

 

 

 

 

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世界遺産となった「旧五輪教会」です。ヨーロッパの建築様式を日本の木を使い、折り曲げてリプボールト天井を作る技術は、日本だけのもの。

 

 

 

 

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こんなに素晴らしい天気になりました。空色の船がソレイユ、後ろの黄色が奈留海上タクシーです。

 

 

 

 

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船に乗り換え、奈留島へ。昼食はお刺身定食です。美味しい!

 

 

 

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世界遺産となった「江上教会です。生憎、休館日のためにあまり中を見ることはできませんでした。

 

 

 

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「奈留教会」でご聖体訪問をさせて頂き、再び海上タクシーに乗り込みます。

この岩の裂け目は、聖母マリア像。似てますか?

そして「キリスタン洞窟」です。

 

 

 

 

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「土井の浦教会」でのごミサでした。

「昨日、生活の質について話しました。久賀島の殉教者たちは、牢屋の中に入れられた時、どのようにキリスト者としての質を高めていったのか。劣悪な環境の中でも、キリスト者としての生き方の質をたかめようとしました。祈り、お互いにはげましあって。そこに至るまで、何でこんな目にあうのかと思うこともあったかもしれません。解放された後も、モヤモヤしたものを持っていたのではないでしょうか。つい最近まで、石を投げられたりしていた。全てが神の思し召しといえる道のりがあった。イエス様の5つの傷について考えなければならないと言った子供。貧しい、教育のない人々が牢屋でイエス様の十字架の苦しみと1つになりたいと願いながら。私たちの日常の生活にも、このようなことが、もっと小さな形で、苦しみとか、辛さとか、寂しさとかとして日常に出てきます。キリストが腕を広げて十字架につけられた姿、この十字架と1つになりたいとの気持ち、これが私たちの信仰の姿です。これを見つめるなら、私たちの信仰の姿、生活の質も変わってくるのでは。今日は日本の205殉教者の記念日ですが、華々しい殉教に目がいってしまうが、そこに至る道を思いながら、自分の信仰生活の質を振り返ってみましょう。」(文責:小池俊子)