「スイスでの黙想の旅」第4日

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今日も快晴です。朝一の涼しい中、グリンデルワルトの教会に向かいます。

神父様のお話し:

「目をさましている生き方。自分の死の瞬間を描き準備して生きること。賢い乙女が油を分けないのはケチということではない。目を覚まして準備していなさい。自分にできないことがあるのは認め、それをよく把握し、できることをきちんと果していくこと。パウロの知恵は十字架の知恵である。一番みじめで、痛い十字架が沢山ある。イエスの十字架を見た時に深い慰めを頂く。イエスが苦しみをともにして下さる。イエス・キリストの中にすべてを見いだせる。信仰とは、すべてを神に委ねる生き方。」

 

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銀河鉄道」に乗り標高3454mの

ユングフラウヨッホに向かいます。気温7度という、東京では考えられない山にこれから登山電車登ります。

 

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真夏のうだるような暑さを耐えていらっしゃる皆様に、ユングフラウヨッホからの寒い空気をお送りします。

 

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スフィンクス展望台での記念撮影です。神父様は大人気。「お一人10フラン!」とのケチな添乗員の大声が。

 

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雄大な大自然を眺めながら展望レストランでの贅沢な昼食です。

 

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スイスの首都ベルンに到着しました。最高気温が27度のベルンですが、高山から下ってくた私たちには暑いです。

 

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ベルンまでの車中、神父様は以下のようなお話しをして下さいました。

 

「毒麦の喩え:自然とそれを支配する神。種が実りをもたらすように私たちを救って下さるのは神である。イエスは、盗賊の一人に、あなたは今日私とともに楽園にいる、とおっしゃる。回心して神に立ち返れば救われる。救うのは神である。無償で私たちに恵みを与えて下さる神への答えが、良い行いである。自分の小ささを認めて、すべてを神に委ねること。毒麦の例えと終末の教え。ここに、自分の死を当てはめる。神は悪が存在するのを許可される。人間の間違った自由の使い方から不完全さが生まれる。しかし、十字架の理由は述べられていない。十字架、痛み、苦しみの意味は理解できない。私たちに痛み、苦しみがなければ神のことを忘れてしまうのでは。悪が共存するなかで信仰が試される。霊的成熟は、自分の不足をどこまで受け入れるかにみられる。神の愛を知ることで自分の不足を認識できる。私たちはとるに足らないもの。今日は、聖モニカの祝日です。晩年、故郷に帰るとき、私にはこの世で望むものは何もありません。ミサの中で私のために祈って下さいといっています

。神の愛を知れば知るほど、自分の罪や悪を認識することができます。悪が共存しているこの世で、自分と関わる人とか社会に善と悪が共存しています。そして、悪は自分の心の中にあります。また、神が与えて下さった良心の声があります。おかれている場所で良いことをするように。人が自由であること、自ら真理を選ぶ能力があること。分かっていて悪を選んでしまうと、自由に善を選ぶ力が鈍ってきます。この待てない現代、が、神は忍耐強く待ってくださいます。人の悪いところをすぐに変えようとするのは、神のなさりかたとは違います。神のあわれみは忍耐強さにあります。神は人間の愛に忠実です。イエスも辛抱強く待たれました。父よ、この人たちを許して下さい。何をしているのか知らないのですから。待つということは、悪を容認することでも、目をつぶることでもありません。毒麦を刈らずに待つということは、神の正義の追求。その人とともに悩み、苦しみ、善に向かって歩んでいくこと。人の心を理解しながら神に向かって歩んでいく信仰共同体であること。スイスでの

美しい自然。そして、その1部である人間。神の美しさを見せてくれる自然。この神の美しさを心の中に刻みつけておきましょう。」