粟本神父様と行く「京都巡礼」の旅第4日

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珍しい新幹線の操車場をみながら、奈良から高槻に向かいます。

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高槻教会でのごミサです。「右近の会」の皆さまがお迎えして下さいました。ごミサでの神父様のお説教です。

「神と富の両方に仕えることはできない。物があるためにそれに執着する。ものがあってもそれに執着しない。ぺトロとアンデレは、すぐに網を捨てて従った。ヤコブとヨハネも直ぐに従った。私たちは、網を捨てることはないとしても、生涯、キリストに従ったということができる生き方をしたい。右近も全てを捨てて主に従った。それは、家来をも失うこと。右近列聖の準備が進められているが、彼は殉教者ではない。証聖者が殉教者扱いに。教えに殉ずるのが殉教者である。殺されることは二義的なこと。自分の一生を教えのために捧げることと殉教の区別はない。信仰の先輩が全教会から認められることは、大きい。私たちも彼の後に続けるよう恵みを願いましょう。拝領後の5つの心がけるべきこと。①礼拝する②お詫びする③山ほど感謝する④お願いする⑤奉献する ④について:病気の人、生活に困っている人、家庭の悩みをもつ人、職場で苦しんでいる人、キリストを知らない人、キリストに助けを求めている人たちの想いを代わりにお願いしましょう。」

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「右近の会」の皆さまが右近の生涯について詳しくお話をして下さいました。キリストのために名誉も地位も捨てて流浪の身を甘んじ受けた右近のいさぎよさに、頭が下がります。真似ができるでしょうか?

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高槻教会の資料館にある高札です。キリシタンを捕らえれば現代のお金にして二千万もの大金がもらえる。異常なほどのキリシタン嫌いに悪の力さえ感じます。と同時に、そのような命の危険を、神への愛のために捧げた右近やキリシタンの生きた信仰に倣いたいと思い、私の弱い信仰を強めて下さいとの心からの祈りを捧げます。

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高槻城趾には十字架を掲げる右近の像が立っています。

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城趾の石垣には十字架が彫られています。右近像は教会の入口にも立っています。

 

京都巡礼から始まり、高槻まで聖なる生き方を全うされた聖人の生きざまを訪ねました。

 

帰りは京都駅でのお買い物をして、皆さま、お元気にお帰りになりました。神様、マリア様に感謝します。