山野内神父様と行く「聖地イスラエル巡礼」第6日
宿泊施設は、山上の説教の丘にあります。聖地での最後のごミサはこちらの庭で捧げられました。
「この丘は祝福の山と呼ばれています。幸福が周りに広がるようにとの象徴でもあります。皆がいる所がこの山のようにならなければ意味がありません。自分がいる所に幸せが広がっていく。その精神で、魂も心も自分のいる場所に持っていくこと。神がともにいて下さるから。教皇フランシスコは喜びなさいとおっしゃっていらっしゃいます。幸せとは、神がともにいてくださるとの確信があるときに生まれます。キリストの心を持っていれば、心と目で神の姿と存在を相手の中に見ることができます。この巡礼で感じた幸福を奉納しましょう。」
山上の説教の黙想の家ともお別れです。ほとんどの方々は「パンと魚の教会」まで歩いて下りました。遠くに私たちのブルーのバスが見えています。
「パンと魚の教会」、「ぺトロの主位権の教会」、ガリラヤ湖でぺトロ、アンドレア、ヨハネ、ヤコボなどを呼ばれたイエズス様の姿を黙想しながらの巡礼最後のひとときです。
ぺトロの魚が昼食です。美味しかった!アルジェンチンのお二人はここでお別れです。これからの旅を、また、人生の旅をお守り下さい。
ガリラヤ湖遊覧です。静かに黙想をした後、ラテン系の血が沸騰しました。船上で歌えや、踊れの大騒ぎです。沢山の国籍を持つ皆が、キリストにおいて一つになっています。
最後の訪問は「主のご変容」の教会です。皆さまもこの短い間に変えられていきました。聖霊のいぶきがお一人一人の上に豊かに注がれています。山野内神父様の生きざまと導きを通して。
インチョン空港の祈祷室で巡礼最後のごミサが捧げられました。
「神に感謝を捧げることは良いことである。個人として、また、夫婦として、皆さんの心の何かが空になって、他のもので満たされましたか?その場、その場で満たして下さったものがあったはずです。気づいていないものもあったでしょう。神は私にとって何者ですか?体験したものを頭で理解しないで下さい。理解の中に閉じ込めたら、聖霊が鳥小屋の中に閉じ込められてしまいます。これからも、私を変えてくれるのが聖霊です。神の栄光は喜びです。救いは喜びです。カナでのできごと、良いぶどう酒を味わって喜び踊りました。エンカレムで、船の上で喜び、踊りまくりました。国境を超え、言葉を超えて人を一つにします。これが、神のなさる業です。」