「大分-湯布院-熊本巡礼の旅」第1日

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最初のごミサは、ぺトロ岐部殉教記念聖堂で捧げられました。

岐部さんも相変わらずお元気で再会を喜び、ごミサをご一緒に与りました。

「今日の福音、家族を憎むとか、すべてを完全に捨てるとか、非常に難しい、厳しい内容です。 ぺトロ岐部は父ロマーノから厳しい信仰教育を受けて育ちました。

当時の日本では、司祭になれなかったため海外に出て行きました。聖地イスラエルに歩いて行き、そこから、信念を持って歩いてローマまで行きました。ローマで叙階されます。もともと帰るつもりでいたのか、ヨーロッパに残るつもりでいたのか、私達には分かりません。日本に帰るということは死にに行くことを意味しました。

私達の人生では先のことは分からないのに、仕事についてとか、結婚についてなど自分なりに考えます。ぺトロの生き方を見ると福音の言っていることが、具体的にわかります。私達がいろいろ計画しても、うまくいかないことが多いです。

一番大事なのはキリストが一緒にいることを発見すること。今も明日もキリストがともにいてくださる。キリストの弟子になるということは、十字架を担うこと。キリストは何故家族捨てなければとか、父と子、母と娘の分裂を求めてきたなどと言われるのか?

これは優先順位のこと。十字架を担うためには、キリストを選ぶためには、大切なものを横におかなければならない。良く生きるとは、十字架を担う覚悟をすること。十字架から逃げると幸せになれない。」

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昼食には「タコ飯」、とても美味しかった(写真をとりませんでした)午後には日出の「殉教公園」で加賀山親子の殉教の場面を観想しながら、子供の心までもこのように寛大に神に捧げようとさせる信仰を想った。私達の信仰はどうでしょうか?

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トラピスト修道院を訪問しました。「祈りかつ働け」とのモットーで、生涯を祈りと自己犠牲に捧げられる修道生活がここにあります。

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今日最後の訪問地は、「並柳のキリシタン墓地」。当時、由布院には3000ものキリシタンがいた。