「須賀敦子の世界 イタリア編」第五日

昨晩無事に到着されたJさんが須賀さんとの思い出をいろいろ話してくださり、ガイドのYさん始め皆さまが「第二次元の須賀さんの姿が第三次元に拡大されてきた」と大喜びです。
Jさん大変な思いをなさっていらして下さりありがとうございました。この小さなグループの旅をとても豊かにして下さっています。
ベニスからアッシジまで400km 以上の道のりを走り、聖フランシスコ、聖女クララの町に到着です。
  

聖フランシスコ大聖堂では谷村神父様がとても温かく、素朴な歓迎をしてくださいました。神父様、ありがとうございます。
  

修道院の大食堂に大驚嘆「ここで修道士の皆さまとお食事をしてみた〜い」と好奇心と願望はどんどん拡大していきます。
強風に飛ばされそうになりながら、回廊からの絶景を目に焼き付けました。この角部屋は教皇様のお部屋だそうです。
  

この小さなグループのために神父様が「平和の小聖堂」でごミサを捧げて下さいました。感謝の気持ちでいっぱいです。
  

須賀さんがこよなく愛され数えきれないほど訪ねられたたアッシジの町、その中心であり「心」であるご遺体が安置されている地下聖堂で、日本の皆さまのごミサに参加させて頂きました。
ありがとうございます。

街中には大勢の人々が我々同様、教会から教会へ、ジェラート屋さんからカフェへとゆったり移動している。平和な光景だ。
  

「キエサ・ヌオバ」は聖フランシスコの生家の場所に建てられ、新しい教会という意味である。
お父さんの織物を貧しい人に分け与えていたフランシスコは家の牢に鎖でつながれてしまう。その鎖をそっとはずしてくれたのは母ピカ婦人であった。