川村信三神父様と『キリシタンベルトを祈りながら』の巡礼の旅第2日目

川のせせらぎとともに新しい朝が来て、今日も快晴。素晴らしい温泉とおもてなしの心に、身も心も癒された私たちは、朽網(くたみ)と呼ばれたこの地域のキリシタンの石碑を訪ねました。
INRI(ユダヤ人の王ナザレのイエスの頭文字の組合せ)と彫られた石は、大きな干十字架の柱頭の部分といわれる。
1550年代このような山間部に多くのキリシタンが誕生したものと思われる。



温泉街ならではのマーク。


久住高原、阿蘇外輪の山並み、眩しい緑や黄金色の碁盤の目の田畑。絶景を眺めながら、私たちのキリシタンベルト紀行は続きます。


阿蘇ファームランドで昼食。石窯の薪で焼いた本格派ピッツア。

坂梨の宿場跡、そして二重峠の石畳の道。キリシタンたちや参勤交代の随行者も四季折々のこの風を感じただろう。


肥後の米は大関といわれる。米の集散地として栄えた、かつての高瀬湊。現菊池川河口の玉名。島原湾からの船は、この眼鏡橋をくぐって上陸し、陸路豊後を目指した。


たくさんの歓迎の笑顔で迎えてくださった八代教会でのミサ。
地元の信者さんとの心温まる出会いは、私たち巡礼者にとって何より嬉しい。
徳川時代最初の殉教者11 名の地。川村神父さまのお話しは、「五歳の少年ペトロの話が印象的だが188人ひとりひとりが凄い。一人一人から何かメッセージを見つけるべきではないか?1信じるということ、2絶望しないこと、3愛すること、これが現代の私たちへのメッセージではないか?」と話されました。