「秋の五島列島、長崎巡礼の旅」第3日目
最高の天気に恵まれ、午前中の巡礼が始まりました。
ホテル「マルゲリータ」のお部屋、温泉、イタリアンに皆さま、大満足!
火事の後、復興した江袋教会、ステンドグラスが圧巻の仲知教会、鉄川与介さん 20 代の作・冷水教会、そして石作りの頭が島教会で祈り、歌い、記念のスタンプを押しました。
あまりにも青い空、そして海もまっ青です。自然に人の心も澄んで、深く、透明になって、皆さまの表情が柔らかく、温かくなってきました。
漁師さんの願いの取り次ぎ手・希望の聖母像、聖霊の鳩の祭壇・浜串教会、優しいマリア像が迎えて下さった福見教会。どこの教会でも担当の方が心からの祈りを捧げて下さいました。
五島最後の桐教会の訪問です。ガイドのオーさん、あなたは「アオーザーマ二、ヨカガイドカッチョー!」
「えび屋」さんのお夕食は日本一!皆さま、大満足でした。
「秋の五島列島、長崎巡礼の旅」第2日目
福江教会での朝ミサには沢山のシスター方が与っていらっしゃいました。
今日の最初の訪問先は久賀島でした。
木口さんの牢屋の窄での信仰のために命を捧げた 42名の殉教者のお話しに涙が止まらない皆さまです。
ガイドのオーさんの軽妙で、内容の濃い説明にバスの中は笑い声が絶えません。
彼女の愛する中の浦教会、音響効果の素晴らしい大曽教会、鯛の浦教会、青砂が浦教会など、今日は9教会を訪問しました。
巡礼中のこの善き日にお誕生日を迎えられたエスさん、また今月のお誕生日のオーさんとエムさん。おめでとうございます!いつまでもお元気で、若く、美しくお過ごしください。
森山神父様と行く長崎,外海,雲仙への巡礼
巡礼3日目はシスター片岡のお話を長崎純心大学のキャンパスのお聖堂で伺いました。
潜伏していたキリシタンたちの信仰について、原爆の時のお話や学校の歩みについて小一時間お話をして下さいました。お忙しい中、私たち巡礼団のためにお時間を作って下さりありがとうございました。
お二人は小学校の同級生でいらっしゃいます。同級生の中から神父様やシスターになられた方が4,5名いらっしゃるそうです。さすが浦上っ子ですね。
平針教会と同じ方が描いた絵を神父様が見つけられました。
島原教会は真福八端にちなんで八角形で出来ています。外壁の一辺一辺にみ言葉が書かれています。
教会の随所に建設当時主任司祭をしていらした神父様の想いが込められています。祭壇の壁のデザインは、ロザリオをモチーフにしています。写真からは分かりにくいかもしれませんね。
求道者に公教要理を教えていらっしゃる中、私たちのために島原で起きた殉教の話を涙ながらに話して下さいました。パウロ内堀作衛門は目の前で三人の子の指を奪われ、更にむごい仕打ちを受けて殺されていくのを見ました。どんなに辛かっただろうかと思いながらも、同じ信仰を持ち神様に全てを捧げ切った息子たちを誇りに思ったことでしょう。強い信仰がなければ、乗り越えられない出来事でした。
島原の乱では、陣中旗にご聖体が描かれていました。
パウロ内堀作衛門の息子三人は、2008年に列福されました。
グループ最後の夕食で、それぞれ巡礼の感想を分かち合いました。
迫害された人々、その末に殉教された人々の話を聞きながら、長崎•島原•雲仙の強い信仰に触れてきました。
命に代えて信仰を守り抜いた先人たちの生き方を通して、私たちにもメッセージが与えられています。それは人それぞれに違うと思いますが、与えられたものを日々の信仰に生かしていくことが出来ますように。
迫害する人と迫害に耐える人。どちらも同じ人間です。どちらにもなり得る両極端の人間の姿を見せられます。
ステンドグラスの美しい教会でした。
巡礼最後のごミサは島原教会でした。
4日間いただいたお恵みに感謝します。
地獄と呼ばれる100度以上の熱湯が噴き出す場所でも、殉教した方が沢山いらっしゃいます。
諫早でお一人、そして名古屋でさようならです。またお目にかかれますように。どうもありがとうございました!
森山神父様と行く長崎,外海,雲仙への巡礼
今日のごミサは浦上天主堂でした。禁教下、代々信仰を守り続けた方々がここ浦上には沢山いらっしゃり、森山神父様はその子孫のお一人です。また原爆の爆心地の近くのため、甚大な被害を受けた場所でもあります。
今日のごミサは特別なものになりました。今まで教会に通われていたOさんの洗礼式が行われました。
巡礼中に時が満ちたことはご本人だけではなく、私たち一人一人にとっても喜びです。誰もこの神様のなさり方は想像が出来ませんでした。
みんな同じ信仰を持つ家族になりました。助け合い励まし合いながら、お互いの信仰を守っていくことが出来ますように。
代父のMさん、お役目お疲れ様でした。
今日は空は晴れ渡り、海は波が静かで最高の日です。
フランスから遠い日本の出津の人々のために人生を捧げられたドロ神父様。
教会から救助院への道をドロ神父様は毎日何回も歩かれました。私たちも歩いてみます。
ドロ神父様の資料館には神父様が人々に教えられたことに関するものが展示されています。医学について、農耕について、手芸についてなどなど、豊富な知識が村の人々を助けました。
左側の祭服はお母様とお姉様から、日本に旅立つ前にプレゼントされたそうです。二度と会えない息子や兄を思い、祈りながら刺繍をなさったのでしょう。
ドロ神父様のお墓です。
森山神父様と行く長崎,外海,雲仙への巡礼
森山神父様と行く長崎、外海、雲仙への巡礼が始まりました。
名古屋と大阪からのご参加のため、新幹線の後、電車に乗り換えて長崎を目指します。車窓から見える風景を楽しみながらのゆったり旅はなかなかよいものですね。
まず最初に二十六聖人が殉教された場所を訪れます。
二十六聖人記念館館長ルカ・レンゾ神父様が私たちを出迎えて下さいました。
当時この丘は海から近くまた港に入ってくる外国船からもこの死刑場がよく見えたそうです。そこに一列に立てられた26本の十字架を黙想しました。
京都から西坂までの800kmの道のりは過酷なものに見えますが、信仰を証し出来ることへの喜びを感じていました。その姿はキリシタンだけではなく、民衆の心に深く強く刻まれました。
国宝に指定されている大浦天主堂は、私たちにとって特別な場所です。200年もの間、潜伏していたキリシタンたちがここで発見されました。これは「東洋の奇跡」と言われ、世界のキリシタン史においても奇跡的な出来事でした。
教会の中には信徒発見の時からの聖母マリア像を今でも見ることが出来ます。今日の信仰の原点に触れました。
神父様は幼少期、今ほど整備されていない敷地で茂みの中に佇むこの十字架をよく見ていらっしゃったそうです。長崎が故郷でいらっしゃる神父様の生活を伺うと、教会や信仰に対して距離が近く自然なのを感じます。
お夕食場所まで歩く中、神父様が臨時ガイドさんとなり街の説明をしてくださいました。故郷である長崎を少しでも沢山見て欲しいと思われる神父様のお姿はとても微笑ましいです。ありがとうございます。
最終日
平和のために祈る日。長崎の平和公園と原爆資料館を訪れた。前教皇様、ヨハネ・パウロ二世は、「戦争は人間の仕業です。」とおっしゃった。エゴとエゴ、自分の利益追求の闘いではなく、意味のある、信仰の自由のために闘った日本の信徒にも思いをはせた。
ごミサは外海の黒崎教会にて。峯神父様が丁寧にお迎えして下さった。
ごミサで川島さんは50年ぶりに侍者をなさって、ご本人もグループのみなさまも嬉しい感謝の時を共有することができた。
ドロ神父様の記念館にはいつもニコニコと迎えて下さるシスター橋口がいらっしゃる。89才になられた。シスターのオルガン伴奏で「慈しみ深き」と「神ともにいまして」を皆でうたった。
シスターには子供のような素直さとか、神様の前に委ねて生きる平安が溢れている。