ステラコーポレーションブログ-星空経由の伝言板~カトリック聖地巡礼からの便り~

巡礼旅行会社ステラコーポレーションのブログです。巡礼地からの様子をご紹介していきます。

川村信三神父様と『キリシタンベルトを祈りながら』の巡礼の旅 第5日目 9月12日(金)


今日はいよいよ最終日。長崎から外海を通り北上し西海市中浦へ。海を見ながらのドライブ。フランス国旗の三色の橋を渡ります。


天正遣欧使節のジュリアン中浦の故郷。後に神父となり、隠れながら各地を回り信者の世話に明け暮れた。ヨーロッパと日本、神と人との懸け橋になった司祭は西坂の丘で殉教。最期の言葉は「この大きな苦しみを神への愛のために」。
記念公園には、ローマを指さすジュリアン像が立つ。
「いつも目立たないけれどその人が居ないと困る、そんな課長さんのような人」と神父様からのお話。

散歩に来ていたカニの家族に会い、カメラ目線でピース。



同じ道を南下して外海へ。遠藤周作記念館を見学。


外海の海を眺めながらバイキングの昼食の後、道の駅で買い物。「教会へ花束を買って行きましょう!」と男性Kさんの優しい気遣い。
明治時代の宣教師ド・ロ神父が建てた出津教会へ。
台風にも耐える丈夫で美しい教会を建てるため、自分で設計から材木選びまでしたという。激しい風が吹く外海では、屋根を低く押さえている。視線を祭壇に集中させる重厚な雰囲気。


ド・ロ神父記念館には、愛用したオルガンやキリシタン暦などが展示してある。


外海の海を見渡す『沈黙の碑』
「人間がこんなに哀しいのに主よ海があまりに碧いのです」遠藤周作


巡礼の最後に、黒崎教会でごミサ。「私たちが共に巡礼して歩いて来たのは偶然でしょうか?必然でしょうか?私たちは運命共同体。実は全ての出来事に意味がある。ひとつひとつに何か意味がある。辛い悲しい体験かもしれないが、必ず、み旨、ハッピーエンドの旅を歩いている。何か糧に結び付いている。今日最後のミサは、感謝のミサにしましょう。」と神父様からのお話。


別府から参加のシスターはここで離団。バスで長崎駅へ向かい、さらに別府へ3時間半とのこと。バス停で皆でお見送り。きっと子供達が首を長くして帰りを待っていますね。
さあ、私たちも長崎空港へ向かいましょう。


こうして五日間の「川村神父様と行くキリシタンベルトを祈りながら」の巡礼の旅が無事に終わりました。
皆様それぞれの想いを胸に抱いて家路につきました。

川村信三神父様と『キリシタンベルトを祈りながら』の巡礼の旅 第4日目 


雲仙教会でごミサ。信者さんは六家族だけという巡回教会。信者さんが準備をしてくださいました。


地獄巡りをして、キリシタン殉教記念碑へ。


天正遣欧使節の千々石ミゲルの生誕地、千々石で写真ストップ。


長崎名物のちゃんぽんや皿うどんの昼食の後、大浦天主堂へ。
予言通りのプチ・ジャン神父と浦上の信徒達との出会い「信徒発見」の場面のレリーフや「こんちりさんのりやく」なども見学。


西坂の丘、日本二十六聖人殉教地。記念館にはザビエルの書簡や殉教者の遺骨ほか、日本のキリシタン史を数々の史料で克明に語る。


浦上教会。キリシタン迫害と原爆…、2つの受難の中心地。


サンドミンゴ教会跡から発見された80もの花十字紋瓦。

川村信三神父様と『キリシタンベルトを祈りながら』の巡礼の旅 第3日目 9月10日(水)


今日は旅程三日目。神父様から「旅の三日目というのは心のブレーキが出てきやすい。」とアドバイスを頂きました。皆さまとてもお元気です。
熊本の花岡山は、小笠原一家15人の殉教の地。



熊本港から島原へ。キリシタンベルトは海の道を渡る。オーシャンアロー号(フェリー)で約30分。有明海を眺めながら、思い思いに過ごす。
五日間私たちの道先案内人をつとめて下さる運転手の神崎さんと、ガイドの笹方さん。旅が順調で快適なのは、この素晴らしいお二人の力が大きい。


三本の指を切られ有明海に沈められた三人の幼い兄弟の殉教地。


島原教会でミサ。イスラエルにある山上の説教の教会を模して八角形。一枚一枚に意味があるステンドグラスが素晴らしい。
殉教者達は、ご聖体の意味をよく理解し、力を与えられ、そして勇敢に喜んで殉教したという。


今日の昼食は、島原名物の具雑煮。あご(とびうお)のだしが美味しい具だくさんの雑煮。


市の案内人に説明をしていただき、有馬川の殉教の地、セミナリオの跡などを訪問。炎天下の小路を頑張って歩きました。



原城跡。天草四郎の名で知られる島原の乱の舞台。37000人が非業の死をとげた。湯島またの名を談合島、その向こうに天草がよく見える。


口之津港は、イエズス会の綿密な測量の結果選ばれた港。巡察師バリニァーノ神父が布教の方針を話し合う会議を開いた。議題の一つは「教育」。日本人を高く評価し、セミナリオやコレジヨの設立を決めた。


今夜の宿は雲仙の地獄に1番近いところ。硫黄の温泉で疲れを癒す。夕食も豪華。

川村信三神父様と『キリシタンベルトを祈りながら』の巡礼の旅第2日目

川のせせらぎとともに新しい朝が来て、今日も快晴。素晴らしい温泉とおもてなしの心に、身も心も癒された私たちは、朽網(くたみ)と呼ばれたこの地域のキリシタンの石碑を訪ねました。
INRI(ユダヤ人の王ナザレのイエスの頭文字の組合せ)と彫られた石は、大きな干十字架の柱頭の部分といわれる。
1550年代このような山間部に多くのキリシタンが誕生したものと思われる。



温泉街ならではのマーク。


久住高原、阿蘇外輪の山並み、眩しい緑や黄金色の碁盤の目の田畑。絶景を眺めながら、私たちのキリシタンベルト紀行は続きます。


阿蘇ファームランドで昼食。石窯の薪で焼いた本格派ピッツア。

坂梨の宿場跡、そして二重峠の石畳の道。キリシタンたちや参勤交代の随行者も四季折々のこの風を感じただろう。


肥後の米は大関といわれる。米の集散地として栄えた、かつての高瀬湊。現菊池川河口の玉名。島原湾からの船は、この眼鏡橋をくぐって上陸し、陸路豊後を目指した。


たくさんの歓迎の笑顔で迎えてくださった八代教会でのミサ。
地元の信者さんとの心温まる出会いは、私たち巡礼者にとって何より嬉しい。
徳川時代最初の殉教者11 名の地。川村神父さまのお話しは、「五歳の少年ペトロの話が印象的だが188人ひとりひとりが凄い。一人一人から何かメッセージを見つけるべきではないか?1信じるということ、2絶望しないこと、3愛すること、これが現代の私たちへのメッセージではないか?」と話されました。

川村信三神父様と『キリシタンベルトを祈りながら』の巡礼の旅第1日目

川村信三神父様と『キリシタンベルトを祈りながら』の巡礼の旅が始まりました。
朝、羽田から大分へ約1時間半。大分空港から参加のシスターと合流し総勢12人になりました。天気は快晴。陽射しが眩しくて、まるで夕べの東京の雨と雷が嘘のよう。


信念をつらぬいて殉教した人ペトロ岐部の生誕地国東半島の国見町
私たちの最近のごミサは殉教記念聖堂で。
神父様のお話は、「命をかけてまで通した信念、神様と自分が繋がっている確信があったからこそ死を怖れない。大海を見たに違いない。彼が見つめていたもの大きさ深さを感じましょう。」


岐部さんが出迎えお話を聞かせてくださいました。50年前にチースリック神父様が初めて訪ねていらした時の事など…
天気が良いので外でいちじくをご馳走になりました。
  


ローマまで歩いた不屈の人ペトロ岐部像の前で。


昼食の赤米定食は、全て土地のものを使った美味しい手作り料理。皆さん大満足!


日出はザビエルが大友宋燐と出会って滞在した地。そしてバルタザル加賀山父子の殉教地。
別府湾の素晴らしい景色。カルデラ湖だったというだけに、まるで湖の様。向こう岸に別府、大分の町、高崎山が良く見える。

石畳が残る豊後(肥後)街道の今市ではバスから降りて歩きました、両脇の立て札は、かつて宿場街だった当時の様子を思い起こさせる。鍛冶屋、漢方薬屋、豆腐屋、蒟蒻屋…


  
  


今夜の長湯温泉は、九州一の炭酸泉。当時、キリシタンベルトの豊後街道を歩いて行き来したキリシタン達は、この良いお湯でどんなに身体を癒されたことだろう。長崎からは四日かけて府内までの道のりだったという。
早めに宿に到着し、銀色の泡ラムネ温泉館へ行かれた方も。宿泊の大丸旅館での夕食後、自己紹介。デザートは今日お誕生日を迎えたSさんのバースデーケーキ♪♪♪美味しい〜