前田万葉枢機卿様と行く「上五島巡礼の旅」第2日
今朝の朝食は、ホテルではなく、大曽魚市場の漁師の朝飯でした。
朝からお刺身わアラの味噌汁、焼き魚と普段頂けないものですが、新鮮な取り立て魚で、大勢方がお代わりをするほど美味しかったです。
魚市場では、3人のカトリック信徒の方が枢機卿様を見つけて大喜びでした。
お食事の後、鉄川与助さん建設の大変完成度の高い「大曽教会」を訪問しました。80段の階段をふーふー言いながら上ると、イエス様が両手を広げて「来なさい、重荷を負うもの、苦しむものは皆私のもとに」と迎えて下さいます。
地元にいらした枢機卿様は、車中、生き生きとこの地方の説明をして下さいます。
枢機卿様のお母様のご出身は野崎島でした。チャーター船で野崎島向かいます。空は晴れ渡って船の旅も快適です。
30度以上あるでしょうか、暑い中、「野首教会」目指して歩きます。結構急な坂道で、汗が滝のように流れます。
「野首教会」の前で、枢機卿様の嬉しそうなお顔。何を思われたのでしょうか?
禁教の時代に厳しい弾圧を受けながらも信仰を守り抜き、長年の苦難を耐え抜き信仰の自由を手に入れた人々の、抑圧からの解放と喜びという崇高な精神性の象徴といえる教会。枢機卿様の先祖も長い苦しみを耐えながら、ここで、キリストへの忠実を守り通し、生き抜かれたのです。
右側の木の後ろ辺りに枢機卿様の母方の家があったそうです。
昼食は野崎島の研修所で。召し上がっている時の嬉しそうなお顔。同じ釜の飯で、皆一つの家族です。
島での滞在2時間位。けれども、この島まで来る巡礼団はとても少ないです。チャーター船「高揚丸」も遠くに見えています。
上五島の最北端にある聖アンドレアに奉献されている「米山教会」です。白浜司教様はこちらのご出身です。このように素朴で、世俗から遠く離れた環境の中で強い信仰は育まれるのでしょうか。
禁教の時代に厳しい弾圧を受けながらも信仰を守り抜き、長年の苦難を耐え抜き信仰の自由を手に入れた人々の、抑圧からの解放と喜びという崇高な精神性の象徴といえる教会。枢機卿様の先祖も長い苦しみを耐えながら、ここで、キリストへの忠実を守り通し、生き抜かれたのです。
枢機卿様ご出身の「仲知教会」で主任の本田神父さま、遠戚に当たる山添神父様との共同司式でごミサが捧げられました。大勢の仲知の信徒の方々がいらっしゃいました。大歓迎です。
枢機卿様のお言葉はあまり聞こえなかったのですが、以下のことのみ分かったことです。
皆様とのごミサを捧げることをとても嬉しく思います。…この教会でごミサの大切さをしつけの中で教わりました。…第1朗読から、「キリストが全てであり、全てのうちにおられる。」また、「神は悩みのうちにあるものを支え、倒れるものを全て立たせて下さる。
外にはテントが張られ、膨れまんじゅう、仲知特別のカリントウ、五島うどん、ナシなどがふるまわれました。
枢機卿様の七光りで、私たちはどこに行ってもそのお相伴に与らせて頂いています。
枢機卿様、ありがとうございます。神様がいつも沢山のお恵みでお守り下さいますよう、また、マリア様がいつも取り次いで下さいますように。私たちの毎日のお祈りをお捧げ致します。
仲知には枢機卿様がお生まれになった家がまだ無人で残されています。最後の写真です、右側の木の横にある屋根が枢機卿様の家です。お家から走り出て海に行き、サザエなどを沢山取られたそうです。
「江袋教会」は今から12年ほど前、漏電のために焼けてしまいました。
幸いなことに設計図が残っていたため、各地から送られて来る援助によって、前とほぼ同じ教会として生まれ変わりました。教会の89歳の長老が私たちに話して下さいました。
「青砂が浦教会」では、子供たちが巡礼団を迎えて下さいました。今日は水曜日、稽古の日だそうです。皆、嬉しそうに枢機卿様と握手。聖堂の中では、ともにお祈りしました。子供の祈りはまっすぐ神様の御元にあげられたことでしょう。
お祈りの後、神父様になりたい人、シスターになりたい人と聞かれて手をあげる子供たちです。そうなりますように。
信徒会館で膨れまんじゅうとドーナツをご馳走になりました。
五島の皆様は、枢機卿様のこと大好きです。そして、枢機卿様も皆様のことをとても大切になさっていらゃるのがすぐに分かります。
お忙しい思いをさせてしまいました。これが青砂が浦教会のおもてなし膨れまんじゅうとドーナツです。
エビ屋さんの有名な、美味しい夕食です。伊勢海老のお刺身、黒ムツの煮付け、サザエ、天ぷらetc。膨れまんじゅうでお腹が一杯のはずの皆様が結構召し上がっていらっしゃいました。
夕食をしながらの自己紹介がはじまりました。より良く知り合い、枢機卿様の「五島 椿の会」が広がっていきます。最後に枢機卿様は、今日、仲知で子供の頃のことを思い出されたそうです。枢機卿様は3月生まれなので、クラスでは1番小さかった。けれども背負い投げで自分より大きな子供に勝った。
勝って兜の緒を締めよ。
次に自分より小さな子に負けました。そのことを今日、仲知で思い出しました。
1人1人頂いたお恵みがあります。ともに歩む巡礼は、私にとっても喜びです。もっともっと謙虚にならなければ。小さい時から人から言われないとしない方だった。自分の生き様は続いていきます。神様のもとに、巡礼を続けていきましょう。
枢機卿様の今日の句です。「さわやかや 五島巡礼 みな笑顔」
前田万葉枢機卿様と行く「上五島巡礼の旅」第1日
一昨日は大嵐でした。そして今日はこんな素晴らしい天気に恵まれました。神様に感謝、マリア様に感謝。我らがガイド、Oさん、皆大笑いですよ。
「頭が島教会」の主任・川内神父様も枢機卿様をお迎え下さいました。こんなに嬉しいことはありません。
「ここ数日、台風のためにこの巡礼は駄目かなと思っていました。いつのまにか天候が良くなり、今日の日を迎えましたが、大変だったと思います。
「台風の間に間に巡る五島かな」お恵みでしょうか?素晴らしい巡礼になってほしいと思います。頭が島は五島信仰の信仰復活の地と言って良いと思われます。桐教会出身のガスパル与作は、怪我をして長崎に行き、プチジャン神父様に会います。ドミンゴ松次郎に話し、松次郎は秘跡に与りたいとの一心から、プチジャン神父様に願い出て、クザン神父様が、最初にこの地の宣教師として入ってきました。
次の訪問は「鯛ノ浦教会」です。主任の川内神父様は、「頭が島教会」から大急ぎで帰って、教会の冷房をつけ、涼しくお迎えして下さいました。浦上の原爆煉瓦を使った旧鯛ノ浦教会の入り口部分です。
「旧鯛ノ浦教会」は現在、お稽古のために使われています。本場フランスと東京カテドラルのルルドを模して作られた「鯛ノ浦教会」のルルドはとても美しいです。ここルルドで、枢機卿様の先唱によりロザリオ一連が唱えら、聖母への賛美歌が歌われました?
「鯛ノ浦教会」の信徒の方々が大歓迎して下さいました。
朝四時頃から始まった今日の巡礼最後の訪問は、青方教会です。上五島のカトリックセンターとなっている「青方教会」について、枢機卿様が説明して下さいました。
1日の疲れを吹っ飛ばす夕食のひと時です。
上五島の9人の神父様方がご一緒して下さいました。お若い神父様方ばかりで、羨ましい限りです。日本の教会の希望、力。
こんなにお恵みに満ちた、嬉しいお食事会があるでしょうか?
神父様方が自己紹介をして下さいました。
楽しい、笑顔と親しみ一杯の自己紹介が続きます。最後は枢機卿様のお言葉を頂き、楽しい夕食の会はお開きになりました。
アベイヤ司教様と行く イスラエル巡礼11日目
イスラエルで3番目に大きな都市、ハイファに向かいます。
山の上からは、ハイファの街並みと地中海が一望に見渡せます。
次にカルメル山に行きました。
エリヤとバールの戦いの場所とされています。
ここにはエリヤの石像が立っています。
イスラエルでの最後の昼食です。
こちらでもっともポピュラーなシュニッツェル(鶏肉のフライ)とファラフェル(潰したひよこ豆の揚げ物)です。
皆様、美味しい!美味しい‼︎と最後までイスラエル料理を堪能していました。
お腹いっぱい、大満足で次の場所へ向かいます。
テルアビブの北に古代カイザリアの遺跡があります。
日陰のない炎天下の中を、皆さん頑張って歩きました。
まずは水道橋。
十字軍時代の要塞を通り、闘技場跡をひたすら歩きます。
途中日陰のスペースで、使徒言行録を読みました。
ヘロデ宮殿を通り、円形劇場へ。
円形劇場では『ふるさと』と『赤とんぼ』を歌いました。
テルアビブの南、地中海に面した古い港町ヤッフォ。
聖ペテロ教会と、皮なめしシモンの家の前で記念撮影。
ヤッフォの展望台がイスラエル巡礼の最後の場所です。
テルアビブの空港から帰路に向かいます。
アベイヤ司教と行く イスラエル巡礼10日目
朝のミサ前、日の出を見にきたメンバーで。
今日は至福の山の野外ミサの場所で、朝ミサがありました。
主司式はエリック神父様です。
午前中の黙想の時間が終わり、昼食の時間です。
今日はピーターズフィッシュです。
午後はバニアス国立公園です。
ここヘルモン山麓一帯は、地中から泉が湧き上がっています。
バニアスはヘロデ王が皇帝を記念するために牧羊神パンを祭る大理石の神殿をきずいたとされている。
次はテル・ダン国立公園です。
ここには旧約時代の城壁が、その当時のまま発見された場所。
アブラハムのゲート、またはカノン人のゲートと呼ばれています。
また北イスラエル王国時代に、金の子牛像が安置されていた祭壇跡の場所。
王の玉座があった場所の跡が残っている。
今日が最後の夕食です。
和田神父様から皆さんにお疲れ様との言葉がありました。
そして記念として巡礼証明書が配られました。
山下神父様と行く「ロシア巡礼」第8日
今日の午前中は、モスクワのクレムリンの見学です。巡礼最後の日に、晴れ渡った空、気温は、20度前後、湿度はほとんどないという快適さに、日本の暑さが怖いです。
ガイドさんが、地面のクレムリンの地図で説明して下さってます。
赤の広場はコンサートの準備のために朝は入れませんでした。
ロシア正教の教会独特の玉ねぎアーチが真っ青な空に映えます。
武器庫博物館の写真は撮影禁止でした。大砲も展示されて、この兵隊は今日、赤の広場で活躍するようです。
モスクワ・クレムリンの「聖母の永眠カテドラル」を背に。
今日のごミサは巡礼最後のごミサで、お恵みにより、モスクワ・カテドラルの中央祭壇で捧げられました。
「今日の福音・マタイ23章には、イエス・キリストのファリザイ派や律法学者に対する最も厳しい言葉が述べられています。当時のユダヤ教徒へイエスが指摘するポイントがあります。
一つ一つ意味を持つものですが、イエスは、まず、ファリザイ人や律法学者を偽善者と呼んでいます。この偽善がもともと意味しているのは、舞台役者の仮面で、外に出てくる人間性と中の人が違うということ。私たちの理想とか信じていることと、私たちが行いを通して表す言葉や動作、言動にギャップがあるということだと思います。私たちが心でこうあるべきだと思っていることと、外面に出現する言葉、両者の間に溝があること。それをイエス・キリストは偽善と呼びファリザイ派や律法学者を批判しています。
人間の生活を振り返ってみると、自分の内面と外に出てくる言動にギャップがあります。人のことではなく、自分を見たとき、私たちは矛盾だらけであることを知るでしょう。偽善についてイエスが批判的に使われる、ものの見えないという言葉、結局、偽善というのは私たちが自分の中を、そして、中と外のギャップを良く見ていないということがキリストの最大の指摘です。
良く考えてみると、中と外の矛盾に気づいていないことが、私たち自身の存在とか、生き方とか、生活の矛盾になっています。私たちの中に矛盾があるのに、なぜ人の矛盾について私たちがとやかくいうのか。こういうところをイエス・キリストは厳しく問われます。自分の目の中に丸太があるのに、どうして相手の目の中にあるゴミを取ろうとするのか。このように私たちの偽善的行為というのは、結局、自分の真の姿を見ていないこと、自分の中にある矛盾に気づいていないことがイエス・キリストの批判の元です。
この巡礼を通して一つでも多く、私たちが私たち自身の中にある矛盾、私たちが抱えている矛盾に光が当てられたら、それは大きなお恵みです。私たちがそれに気づくことで人を受け入れること、人を裁かず、人の矛盾に慈しみをもって対し、神の行いに倣っていけるように、聖母の取り次ぎを願いましょう。」(文責:小池俊子)
山下神父様と行く「ロシア巡礼」第7日
広大なロシアの大地と雲の空。スズダリを遠景に見ながら。
モスクワからのガイド・マリアさんが地図を使って説明して下さいます。
スズダリの木造建築博物館で。あちこちにあった木造建築がここに集められています。
玉ねぎ型の塔は、クープラを作るのに作りやすかったためにあのようなかたちになったそうです。
下の写真の左につる下がっているのは白樺の枝です。サウナに入って身体をこの枝で叩いて鍛えます。
木製の子供のゆりかごも展示されています。
「スモーレンスク聖母子教会」です。
ユネスコの世界遺産・「スパソエフィニエフ修道院」です。今は、博物館でさが、ソ連時代は刑務所として使われていました。
1980年代、観光ブームが始まり、現在、スズダリの町は、農業と観光が主な産業です。小さな町でありながら民宿を含んで、180位のホテルがあり、年間120万人の観光客ぎ訪れています。
人が奏でる教会のベルコンサートです。だいたい同じ方が手と足を使って奏でますので、毎日少しずつ違うそうです。
世界遺産「ネルリ教会」は、遠くから見ました。緑の中に映える白い教会です。
「スパソエフィニエフ修道院」の「ご変容教会」です。
壁のフレスコ画は、キリストの生涯などが素晴らしいです。
今日の日曜日のごミサはウラジミルの「ロザリオカトリック教会で捧げられました。
「この世界では、思い違い、感情のすれ違い…そんなことを私たちはよく体験します。善意でしたのに、相手からは全く反対の行為として受け止められたり、相手の言動に悪意を感じ不愉快に思っていたら、実は相手は全くの善意であるいは何の悪気もなくてそれをしていたなど…とにかく人間の世界にはすれ違いが多いです。しかし、これは神様と私たちの間にも起こります。今日の福音はそれをまず指摘しているようです。
「『御主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである」とイエス様は言われています。今日のお話は、当然、神様ご自身が選び、そしてご自身を示されたユダヤ教徒が救い主を受け入れなかったために、その救いの教えと福音は異邦人のため、つまり、全ての人々に向けられていったという、新約聖書がよく語る論点が入っています。「後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある」という言葉が出てきたときは、大体この考え方が適用できます。ユダヤ教徒は「『御主人様、開けてください。我々は御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、お教えを受けたのです』と言うが、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが主人(神)からは返ってくるだけである」という意味になります。ここ注意が必要です。これは、今の読者である私たちにも全く同じように起こりうることだからです。私たちはキリスト者として、つまり洗礼の恵みを受けて、神様の救いの福音とそれに達する生き方を教えてもらった者です。しかし、神の望みの通りにそれを生きないと、「自分は洗礼を受けているキリスト者だから」などと思い上がりの勘違いした生き方をしてしまうと、「お前たちのことなど知らない」と言われかねないという事です。自分の生き方を真摯に反省したいと思います。
大事なのは、神の望み通りに生きることです。自分の自負、思い上がり、うぬぼれ…そう言ったことには要注意で、そこから解放されて絶えず神の望まれる生き方を追究していくことが大事です。主人の思い通りに生きることが大切なのです。それを、今日の福音は「狭い門から入れ」という生き方で提示してくれます。社会は、この世は、人間の価値観は、楽な方、快適な方、すばらしい方、美しく見える方にわたしたちを招きます。広い門です。たとえそれ自体が悪いものでなくても、そっちに引っ張ることで神の価値観、神の望み、願いを覆い隠そうとするのです。だから、私たちはいつも神が私に望まれる生き方は何なのかを絶えず追究する必要があります。ただし、それも難しいことです。神さまの思いを知ることなど、私たちにできるでしょうか…。
今日の第二朗読、ヘブライ人への手紙12章はそのヒントを与えてくれます。「愛する子どもを鍛える親のように、神は愛する子に試練を与える」と言っています。そうです、自分に与えられた試練(痛み、苦しみ、逆境)をどのようにとらえるか、それは一つ、神の思いを知りうる手段になるのです。神を度外視し、御摂理や恵みなどをまったくないものとして考えれば、逆境や苦しみはない方がましです。否定されるべきものです。しかし、そのように生きようとしても、幸か不幸か、悲しみ、苦しみは必ず私たちの世界に現実としてあり続けます。もしこれが神様の思いを知る手段としてのそれならば、実は感謝すべきことなのかもしれません。たとえ逆境と苦しみのど真ん中で(最初からそうは思えなくとも)、信仰の視点、信仰の知恵、そして信仰の恵みによってはじめて、その御摂理の中で愛を持ってわたしたちを真理に導こうとしている神様の存在を知ることができるようになるのです。
日常ではなかなかわからない神様の思いや考えも、私たちは自分の逆境や苦しみをとおして神様に心を向けていくことで、随分それに近づいていけるのではないでしょうか。神様の思いを誰よりも知っていらっしゃる聖母マリア様のお取り次ぎを合わせて願いたい思います。」
ごミサの後モスクワにむかったのですが、夏休みの最後の日曜日ということで、大変な渋滞に巻き込まれてしまいました。
バスの中で、ロザリオを祈り、お昼寝をし、ガイドさんのお話を聞き、ビデオを観てもまだモスクワに到着しません。
長い経験を持つガイドさんも、新記録を樹立したと、ウラジミルからモスクワまで、普段は2時間半から3時間のところを、今日は7時間半かかりました。運転手さん、ガイドさん、ありがとうございました。
神さま、マリアさま、おやすみなさい。