アベイヤ司教様と行く イスラエル巡礼9日目

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今日は朝7時30分に出発、タボル山に向かいます。

バスの中で、今日のミサの流れの説明と歌いの練習がありました。




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朝7時半に出発、お椀を伏せたような形のタボール山に向かいます。

ここはイエス様がモーセとエリアと語り合いながら、白い光輝く姿を弟子たちに示した場所と言われています。




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午前中の最後は、チボリ国立公園です。

古代においてじゅうようなユダヤ人の都市であった。

モザイクで有名な遺跡です。




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今日のランチ。 

鶏肉の中にご飯を詰めたもの。

アツアツで美味しかったです。

イスラエルは付け合わせのお芋も美味しいです。




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午後は受胎告知教会です。

14年かけて建てられたイスラエルでは最大のフランシスコ会の教会。

真中の聖堂には、マリア様が御告げを受けた洞窟があります。




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受胎告知教会には、大きな扉が備えてあります。

そこにはイエス様の生涯が綴られています。




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二階の礼拝堂に行く階段。

二階の礼拝堂には、世界の国々から贈られた聖母子の絵がある。

日本からは細川ガラシャ夫人をイメージした「華の母子像」が飾られています。



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受胎告知教会のすぐ隣に、聖ヨセフ教会があります。




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聖ヨセフ教会の地下には洞窟の住居跡があります。




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午後3時から、受胎告知教会二階でミサでした。

主司式は和越神父様です。



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ミサの様子。



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ミサの続き。



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今日の最後は、突き落としの崖です。

山の頂上からは、町の景色ご一望できます。

受胎告知教会、タボール山など。

アベイヤ司教様と行く イスラエル巡礼8日目

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宿泊先の隣にある八角堂の教会、至福の山へ見学にいきました。

教会内の天井には「幸いかな」で始まる8つの祝福がラテン語で、記されています。

教会の中と外で、聖書の朗読と和田神父様の解説がありました。




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次はパンと魚の教会。

エス様が5つのパンと2匹の魚を祝福して5,000人を満腹させた奇跡を起こしたところ。

祭壇下にあるモザイク画は有名です。




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次はすぐ隣の教会、ペトロの首位権の教会です。

エス様がはじめて弟子となるシモンとアンデレの兄弟と出会った場所。




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ペトロの首位権教会の内部の祭壇にある岩は、イエス様が弟子とともに食事をした食卓であると言われています。




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今日のミサは、カファルナウムにある野外集会場所で。

司式は野田神父様です。



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カファルナウムにはユダヤ教会堂(シナゴーグ)の跡があります。

この会堂跡の向かいにペテロの家と呼ばれる遺跡が発見された。




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午前の最後は、ガリラヤ湖遊覧です。

船から宿泊先も見ることができました。

みんなで楽しく踊りもしました。




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お昼は地元の人がよく食べるというファラフェルです。

とても美味しかったです。




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最後は、古代船見学です。

今日も暑い一日でしたが、体調を崩す方もなく充実した巡礼を過ごしました。

山下神父様と行く「ロシア巡礼」第6日

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こんなに素晴らしい天気に恵まれました。神様に、マリア様に感謝の言葉、ありがとうしかありません。

この建物はスターリン時代に、アメリカのエンパイアーステイトビルを模して造られたましたが、スターリンアメリカのモノマネは気に入らないと、てっぺんだけを変えたそうです。

2番目の写真は集合住宅です。モスクワには個人の家はなく、このような集合住宅に住んでいます。




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車窓から駅が見えます。ガイドのマリアさん、昨夜は遅くまで、また、今朝は早くから頑張って下さっています。




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1937年パリ博覧会の時に、ソ連のパビリオンの上に設置された「労働者と農民」の碑は、当時のロシアを象徴するものです。

渋滞の中、車中で神父様が朝の祈りをして下さいました。

「新しい朝を感謝して祈りましょう。

今日はバルトロマイの祝日で、福音はナタナエルについてです。アラマイ語でバルは子供、トロマイの子供という意味です。ミケランジェロ最後の審判の絵にも描かれているように、皮剥の刑で殉教しました。アルメニア教会では、バルトロマイへの強い信心があります。

教皇ベネディクト16世バルトロマイについて度々長い講話をなさっています。ナタナエルとは、ヘブライ語で神は与え給うという意味です。ユダヤ人には、イチジクの木の下でラビの話を聞くという習慣がありました。イエスから弟子としての姿勢が認められました。

彼は、旧約に良く通じ、聖トマスのように、懐疑的にイエスに近づく人でした。フィリッポは、「来て見なさい」と言います。

人々を回心に導くのは私の思いや正義感などで人を引っ張ってくるのではありません。その人と神の出会いのみに回心があります。私たちの中には人々を変える力はありません。神がその人のなかで働かなければなりません。神の愛、慈しみ、神の全てを総括する愛が全てです。「愛が無ければ、無に等しい」。

巡礼とは、イエスの元に行って振り返ることです。神が準備、配慮して下さった全てに、また、人から受けた沢山の支えに気づくこと、これが大切です。神の愛に少しでも多く気づくことができるように私たちの人生を振り返ってみましょう。」

聖歌、”主よあなたの道を” 




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モスクワから渋滞の道を2時間程走り、トロイツェ・セルギエフ大修道院にやってきました。セルギーは、祈りの人で、隠遁生活をしていました。彼の元に多くの人が集まるようになり、670年、この修道院が創立されました。それ依頼、ここはロシア正教の聖地となり、モスクワから多くの人が来るようになります。貴族や支配者も巡礼に来て、修道院は次第にきれいに、豪華になりました。




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ロシアには白い 聖職者と黒い聖職者がいます。白い聖職者は、一回だけ結婚できます。黒い聖職者は独身で、とんがったぼうしを被った人は普通の修道士で、四角い帽子をかぶった人は位が高い聖職者です。

ここセルギエフ修道院には、聖職者が200名ほど、また、神学生が700人ほどいるそうです。

熱心に祈る信徒の姿が印象的でした。



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車窓より白樺の木を眺めながらススダリに向かいます。




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ウラジミールのカトリック教会には、渋滞のために1時間半遅れに到着しました。別のグループのごミサがあり、その後には、コンサートがあるとのことでごミサは教会では、できませんでした。



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ウラジミールからスズダリのこじんまりした街に向かいます。



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スズダリのホテル着後、すぐに会議室をお借りしてごミサが行われました。

「今日記念しているバルトロマイは、ヨハネ福音書の中では、ナタナエルという名前で登場します。ヘブライ語で神は与えたもうという意味を持つナタナエルは、師の言葉を良く聞き、学ぶ弟子の1人として描かれています。

しかし、この人が本当にイエス・キリストについて行くには、単なる善意に基づく努力だけでは不可能であったこと。本当にイエス様に出会って、自分がこの人と話して、その人が語りかけられる言葉を聞いて、理解して、その上でついて行くことが、今日の福音の箇所で描かれています。

私たちの多くは善意を持ったり、その善意に基づいて努力をしたりといった所までは、もちろん、私たちのなすべきことであると思いますが、キリストに出会うということがなかなかピンと来ないのではないかと思います。

私たちは、例えばパウロの回心のように、ある時天から声が聞こえたり、光が見えたりするわけではありません。しかし、そういう人もいるかもしれませんが、通常は、神の声、キリストとの出会いということは日常の中にあるということ。日々語りかけて下さる神さまの声、日々、私たちに配慮して下さっている神の愛に、その日常において気づくということ。これが非常に大事なことであると思います。

私たちにとって、時として障害になるのは、マルタとか、放蕩息子の兄のように、日々の生活は一生懸命にがんばっていても、神のこと、神の思い、悲しみ、隣の人の気持ち、思い、喜び、悲しみということに全く気づかなくなってしまうということだろうと思います。それは、マルタや放蕩息子の兄がそれなりに頑張っていても、神さまとの出会いから遠く離れてしまう。その人間の弱さであろうと思います。今日、ナタナエルがキリストと対話している言葉の中には、あなたを知っている、知っていたという言葉があります。

見るという動詞がありますが、ヨハネ福音書では、見ることと知ることは重ねて使われています。そうすると、私はいつもあなたを知っている、見ているというのは、キリストの視線を感じた時にナタナエルの心が大きく開かれます。ここに私たちへの模範があり、向けられている神の視線、神の声といったものに実際触れて心を開くことがなければ、私たちの霊的な歩みは、とかく曲がった方向にいきがちですし、なかなか、そこでは神と出会えません。

神と出会えないと人間の努力が空回りしているような状態になってしまいます。神が招いておられるのはそういった部分であって、神の先行する愛、許しとあわれみ、慈しみといったものに心から触れること。日常の生活で気づくこと。

そして、その気づきの中から、神様に自分自身が心を開いて行くことだろうと思います。そのように歩まなければ私たちの心は決して満たされることはなく、逆に干からびてしまい、乾ききってしまいます。

このミサ聖祭というカトリック教会の最大の祭儀において、そういった神の恵みが私たちの心を満たして下さいますように。そして、私たちの心が、潤されていくこと。それを願いたいと思います。

聖母の取り次ぎによって、そのお恵みが豊かに与えられますよう、お互いのためにいのりたいと思います。」



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ごミサの後は、夕食です。スズダリはキュウリの産地とのこと、キュウリのサラダおいしかったです。

アベイヤ司教様と行く イスラエル巡礼7日目

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エンボケックを出発し、マサダの砦に向かいます。

ケーブルカーに乗って移動です。




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マサダのとりは、死海のそば標高400メートルの岩山にあります。

ヘロデ王離宮兼要塞として大改修したが、ローマ軍に攻められてしまう。




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2,000年前のユダヤ人の生活が実感できる場所。

住居跡やシナゴーグ跡や、地下貯水池跡、サウナ風の大浴場跡などがある。




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松浦神父様ご聖書を読み、皆でこの場所での出来事を黙想しました。

ヨルダン川の対岸では、洗礼式が行われていました。




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次の場所へ向かう途中、ザアカイの木によっていきました。



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エリコから役2時間、カナへ。

ここはイエス様が婚礼に招かれて水をぶどう巡礼に変えたと言う最初の奇跡を行った場所。

今日はここで、今回巡礼に参加されている二組のご夫婦に結婚の更新をしていただきました。



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アベイヤ司教様から、二組のご夫婦を皆さんで温かく囲むように祭壇の周りに集まりましょうとの提案がありました。

結婚の更新の式があり、皆さんも冠水で祝福を受けました。




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全員で記念撮影。

アベイヤ司教様、サングラスをかけたまま式を行ってました!

式の途中で、文字が読みにくいと感じていたとか。

これもまた良い想い出です。




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今日のミサは、宿泊先の修道院運営のゲストハウスの聖堂で行います。

山下神父様と行く「ロシア巡礼」第5日

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早朝4時半起きでサンクト・ペテルブルクの空港・プルコボ8時発の国内線で、モスクワ空港に到着しました。

車窓からは、モスクワ名物の渋滞の光景が見られます。




朝四時半起床で、サンクト・ペテルブルクを8時の国内線に乗り、モスクワにやって来ました。
御ミサは「無原罪の御宿りのカテドラル」で捧げられました。

「今日の福音でイエスさまは、最も重要な掟として、神さまを全身全霊をもって愛すること、隣人を自分のように愛することの二つを教えておられます。マタイ、マルコ、ルカの共観福音書では、旧約聖書全体は、この“神を愛すること”と“人を愛すること”が最も重要な掟としてまとめ上げられていますが、これは、それぞれ、神を全身全霊を持って愛することが申命記6章、隣人を自分のように愛することがレビ記19章で述べられています。その意味では完全に新しい教えではなかったのですが、むしろこの二つを“一つの分かたれないもの”としてまとめたところにイエスさまの教えの新しさがあります。この表裏一体の教えを覚えるためには、十字架の形を思い起こせば十分です。十字架の縦棒が神さまと私たちのつながりです。神さまから愛を受け、そして、私たちはその愛に応えます。神さまからのいつくしみ、やさしさ、ゆるしなど、すべては神さまの愛と恵みして私たちに降ってきます。私たちはそれを受けて神さまを愛します。それは神さまに向かう祈りであり、賛美であり、また願いです。この縦のつながりはとても大事ですが、これだけでは十字架は完成しません。十字架には横の棒が必要です。これが人間の同士の隣人愛です。縦横二つの棒があって初めて十字架が完成するのです。使徒ヨハネは言っています。「『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です(Iヨハネの手紙4:20-21)」。そのとおりです。神さまを愛することと隣人を愛することは一つのセットなのです。よく考えてみてください。一生懸命祈り、教会で神に向かう信心を強く証しして生きる人が、兄弟に冷たい態度で接し、人を裁き、不平不満と悪口ばかりを言って生きるならそんな矛盾はあり得ません。躓きです。だから神を愛する人は隣人を自分のように愛する人でなければならないのです。

もう一つ、“流れ”についても注意しましょう。十字架の縦のラインでは、まず、神が注いでくださる恵みと愛があります。それを豊かに受ける私たちは祈り、賛美、感謝、願いをもって神へ向かう愛として返します。この縦のラインには一方通行ではない、相互に行きかうダイナミズムがあります。横のラインも同じです。私たちは愛し、愛されて生きる者です。愛し合う、というのは、一方的に誰かに愛を送り続けることではなく、一方的に愛され続けることでもありません。人から、愛され、ゆるされ、支えられて、つまり、人から多くを受けて生きることであると同時に、自分もその与えられたものを感謝して受け止め、それに同じものをもって応えていくこと。つまり、左右どちらにも行きかうダイナミズムというか、流れがあるのです。縦のラインにも横のラインにも、どちらか一方から注がれるのではなく、相互に流れているダイナミズムがあります。これこそ、「全身全霊を持って神を愛することと、隣人を自分のように愛すること」を一つにまとめ、愛の掟と示されたイエスさまの教えにおいて大事なことです。それは同時に、私たちの実生活においてもとても大事なことというか、真理だと思います。

人が本当に幸せになるのは、この十字架のラインを、上下左右、双方に行きかう愛のダイナミズムをもって生きたときです。聖母マリアが、そのダイナミズムの実践のために取り次いでくださいますように、このミサの中でともに祈りましょう。」









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モスクワの動物園を車窓から見ながら、昼食のレストランへ。

朝のボックス・ブレックファーストから1時過ぎまで、お腹が空いて、今日も美味しかったですよ。




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午後は、「トレチャコフ美術館」です。ロシアファインアートのコレクションで有名な美術館です。

1851年、モスクワの商人で工場主であったトレチャコフ兄弟が自邸に開いた美術ギャラリーから始まりました。



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イワノフの「メシア出現」、PUKIREVの「不釣り合いな結婚」など。珍しい絵に出会うことができました。



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ロシア正教の信仰の世界と、カトリックとの共通点に触れ、絵を通して理解し合うひとときだったでしょうか。


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「またお食事」との声もチラホラ。でも、良く飲んで、良く食べる大変健康な皆様です。

アベイヤ司教様と行く イスラエル巡礼6日目

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宿泊先ノートルダムセンター内の聖堂で、朝のミサがありました。

5日間宿泊したエルサレムから、死海のあるエンボケックに向かいます。




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午前中にイスラエル博物館を見学です。

死海文書」を所有、展示していることで有名な場所です。



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イスラエル博物館内にある、古代遺跡展示館へも行きました。

こちらの博物館は、見所満載で楽しい場所です。




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次に訪れたのは、クムラン遺跡です。

ベドウィンの少年が洞窟から巻物を発見、これが死海写本の最初でした。



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クムランから死海も見渡せます。

日陰がほとんどない場所で、今日も45度近くありました。




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バスで移動中、和越神父様や野田神父様が歌のリードをしてくださいました。

和田神父様も楽しそうに大きな声で歌っていました。



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水着に着替え、死海浮遊体験です。

皆さんとても楽しんでいました。

山下神父様と行く「ロシア巡礼」第4日

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サンクト・ペテルブルク最後の日になりました。

今日は「エカテリーナ宮殿」訪問です。

車中、神父様が朝の祈りをして下さいました。「今日は聖母の元后の祝日です。ピオ12世の在位は、第二次世界対戦の間でした。さまざまな批判がありました。特にユダヤ人の迫害に対して批判がありますが、今、列聖調査が始まっています。この教皇様が「聖母の被昇天」の教義を発表なさいました。戦争の只中の教皇様だったわけですが、聖母マリアに関する重要な教義を制定なさいました。日本の戦争、平和に関する日には必ず聖母マリア様の介入があります。・・私たちカトリック信者にとって聖母信心はキリストへの信仰に次ぐ大切なものです。取り次ぎ手の力に信頼して、聖母に委ねましょう。神の母を私たちには与えて下さったことに感謝し、聖母の取り次ぎを願いましょう。」




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サンクト・ペテルブルクの南約25kmの所にあるエカテリーナ1世、エリザベータエカテリーナ2世といった女帝に愛されたのが、夏の離宮・「エカテリーナ宮殿」である。

宮殿の内部保護のためにビニール製の袋を靴のカバーにして中の見学をします。




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ピョートル大帝の妃・エカテリーナへの愛が、このような豪華絢爛の建物建設を可能にした。



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エカテリーナ宮殿には、内部を琥珀で覆った「琥珀の間」があります。元はプロセイン王が造らせて、後にピョートル大帝に贈られたものです。

当時、デルフトの陶器も非常に高価なものであり、部屋の暖房に使われている。




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クルーズで到着したグループもあり、中はなかなかの混雑でした。

紙で作られたエカテリーナ1世や宮殿の模型なども飾られています。

フランスの宮殿や庭を真似て造られたとのことで、ヴェルサイユを彷彿とさせる雰囲気があります。




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次には夏の庭園へ。

エルミタージュ美術館を見学した昨日は雨が降り、庭を歩く今日はこんなに良い天気に恵まれました。神さま、そして、今日「天の元后」のお祝い日の聖母に感謝を捧げつつ、いたずらの噴水とか、シメトゥリーに整備されている庭園を歩きました。





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目の前にはフィンランド湾が。お花も綺麗に咲き誇って、いたずら噴水の下を駆け抜ける子供達の叫び声に、皆さまも童心に返り楽しそう。





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ごミサは、サンクト・ペテルブルクの「被昇天の聖母カテドラル」で捧げられました。


今日は、天の元后聖マリアの記念日です。この記念日は1954年にピオ12世教皇によって定められました。同教皇は1950年に「聖母の被昇天」を教義とし、この祭日を8月15日に祝うよう制定されました。聖母の被昇天は、私たちの模範として聖母がこの世の生活を終えられた後天にあげられ神の栄光に向かえ入れられたことを意味します。つまり、私たちもそのように召されていることを明確に示すためだったのです。そして、15日から1週間後の今日、22日に天の元后聖マリアの記念日を祝うということは、栄光に入られたマリア様ご自身が、天の国で私たちもそうなるように取り次いでくださることを確認するためでもあります。
すべては、感謝すべきことです。人間のために、その救いのために、ご自身の母をも与えて下さる神の子イエスキリストに感謝して、このような配慮をすべて受け止めること、これこそが私たちにとって大切なことなのです。実は、そのテーマが今日の福音です。マタイ22章1-14節には、王が催した婚宴、それを断った人々と、その後そこに召された人々のたとえです。これは、聖書的には、選ばれた民ユダヤ人が救い主であるイエスを拒否したために、神が準備してくださる宴(救い)は他の民族、すべての人に向けられていったという話ではあるのですが、まず、人間が神の配慮を断るということに注目しましょう。
神は最高のものを与えるために最善を尽くして色々と配慮してくださっているのに、人間はとにかく自分の生活や仕事、思い、感情等々(それ自体が別に悪いものではなく、よいものであるかもしれませんが)、とにかく自分のことを優先させて神様のことを拒否します。正論であっても、人間が自分のこと(考え、思いなど)、この世のことを優先させると神様の配慮さえもわからなくなってしまうのです。そして、そこに生まれるのはいつも不平不満です。ですから自分の心にそれが感じられるときは注意しましょう。自分は、とにかく自分の方(考えや思い)に、人を、そして神をも合わせようとしていること。そこに救いはありません。自分を中心に作り上げる世界は、罪の世界だからです。むしろ私たち自身が人の思い、そして何より神の思いに合わせて、自分を変えていかなければなりません。神は、ご自分の子さえも与えて、私たちを救おうとしてくださっているのですから、その最高の救いの恵みに合わせて、私たちが自分自身を変えていくことこそが救いの道なのです。
よく考えてみましょう。いくら正論であっても、自分の考え、正義観に基づく自分の理想に人を変えても、それは単なる自己満足にしかすぎず、自分の救いは底に得られません。と言うか、そもそも人を自分の考えに合わせて変えることなど、しようとしてもできないはずです。そこで苦しむ私たちは、むしろ、神が無償で提供してくださる食卓、婚宴、つまり、神の絶大な恵みに心を開き、それを感謝して受けとめ、それに対して自分を変えていかなければならないのです。
恵みに対して自分を整え治す必要は、「礼服を着て」婚宴に参加しなければならない、という今日のたとえの中に描かれています。礼服を着ないで入ってきた者は、王から外につまみ出され、その後歯ぎしりすることになります。無償で招かれている神様の婚礼の恵みを知っている以上、それに向かって自分を整え直して、つまり、きちんと準備してその恵みに向かう必要性を今日のたとえは語っています。
その歩みの中に、マリア様が働いてくださることは間違いありません。今日のミサの中で、そのお取り次ぎを願いながら、お互いのために、ともに祈りましょう。(文責:小池俊子)



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また、食べるのですか〜。でも、頂き始めると、不思議に美味しく、平らげてしまうのです。

ギリシャ風のサラダと串に刺した豚肉でした。