大阪再宣教150周年 「聖地イスラエル・黙想と巡礼の旅」第4日
朝の出発前です。ドライバーのアンワルさんもごきげんです。彼はオリンピック水泳の首席コーチとのことです。
最初の訪問は、「ドミヌス・フレービス(主嘆き給う教会)」です。ごミサはこちらで捧げられました。今日のご担当は、松浦神父様です。
和田神父さまの黙想の導入があり、ドミヌス・フレービツトでの集合写真を撮りました。
日陰に入ると涼しいので、とても過ごしやすいです。
ゲッセマネ(万国民の教会)に入る前の黙想です。
「教会には、知識や学問ではなく、聖なるものを求めていきます。・・」
オリーブ山からユダの荒野を眺めます。
主のご昇天の場所です。現在ここはモスクのようになって、イスラム教徒が守っています。
入り口の椅子に座り込んで、このようないたずらをなさるNさん。
「主の祈りの教会」です。
枢機卿様と司祭団です。力強い巡礼のハート。
毎週金曜日には、フランシスコ会の神父様がたが先導なさって)十字架の道行き」が行われています。
有志の方々と参加しました。早めに着きましたのでロザリオの祈りを一環唱えることができました。
全世界から集まってくる巡礼が同じ「十字架の道行き」を歩きます。
歩くというより、ほとんど走りながらの道行きでしたが、普遍的教会の一員としての誇りと喜びを感じた時でもありました。
こんな感じです。お店の人はほとんど無関心で、道行きを歩くこれほどのキリスト者は真剣に。
聖墳墓教会に2人の若い日本人がいらっしゃいました。信者さんではないとのことで、枢機卿様の祝福を頂きました。
大阪再宣教150周年 「聖地イスラエル・黙想と巡礼の旅」第3日
最初の訪問はヘロデイオンです。ヘロデ大王の要塞と宮殿跡で、ヘロデのお墓も発見されている。
ガイドのSさんの説明の後に、涼しい木陰に座り、和田神父様が私たちを霊的な黙想に導いて下さいます。
ヘブロンのアブラハムとサラのお墓、イザクとレベッカのお墓など訪問です。
ベトレヘムの「羊飼いの野」です。貧しいまぶねでお生まれになられたイエス様を観想しました。
イエス様がお生まれになられた場所への行列です。
床のモザイクは最近観せるようになりました。
ごミサは生誕教会の「ご聖体の小聖堂」で捧げられました。
今日のご担当司祭は、中野神父様です。
「大きな感謝の巡礼の旅をさせて頂いてます。ここユダヤの国と日本の神概念は異なります。日本の神は上にいるもので、何をしてくれたのか私たちには分かりません。しかしイエス様は時代設定まではっきりしている、ここ生誕教会でお生まれになりました。私たちが幸せになるようにと。人間の幸せはここにあるとのお手本を示して下さいました。悪いことをしていないのに十字架刑を受け、許すということを一番大切になさいました。最後の言葉はアッバ(幼児語でお父ちゃん)、御手に委ねます。神は私たちに救い主を送られました。私たちが神の子となるために。神の相続人になるために。・・・」
大阪再宣教150周年 「聖地イスラエル・黙想と巡礼の旅」第2日
昨晩遅くエルザレムのノートルダム・センター」にチェックインしました。
そして、今日は「聖墳墓教会」のカルワリオの祭壇での、早朝のごミサです。
皆さま、お元気にがんばっていらっしゃいます。
今日は聖母の元后の祝日です。マリア様がこの巡礼をお守り下さることでしょう。
巡礼最初のごミサは、枢機卿様が司式して下さいました。今日のごミサはここカルワリオの祭壇で捧げられました。
「今日は、天の元后聖マリアの祝日です。けれどもここではキリストのご受難のごミサが捧げられます。十字架は私たちをキリストに近づける大きな力です。そして、マリアは、イエスの協働者として、イエスの元にいつもいらして、キリストの業をともに行われていました。・・知り合いの方で、意識もなく、もうだめだと思った方が、条件付き終油の秘蹟で、額に塗油をしようとした時に、大きな十字架の印をなさいました。聖パウロの言う、十字架の他に誇るものはないとは、まさにこのことです。キリストは神でありながら、人の姿を取られ、十字架の死に至るまでご自分の命を捧げ尽くしてくれました。全ての人が、十字架の救いの恵みに与かることができますように。」(文責 小池俊子)
十字架が立っていた所には、穴があります。そこに手を入れて祈る方々です。
ごミサの後、ノートルダムに戻り朝食です。
ホワイト・ファーザース(アフリカ宣教の会)が管理している、聖アンナ教会とベテスダの池です。ガイドのSさん力が入ります。
和田神父さまから、この地で黙想のヒントが与えられます。素晴らしい旅です。
ホワイト・ファーザースの神父さまがここが写真のスポットと教えて下さった場所で。
アントニオの要塞でピラトは手を洗います。2人の泥棒よりも身分の低いものとなられたイエスの十字架の道がはじまります。
イエス様のお墓への行列です。全世界から集まる人々はこのお墓に葬られ、復活されたキリストを尋ねてやって来るのです。
途中シスターの修道院の聖堂などでご聖体訪問をしながら、暑い中、嘆きの壁までやってきました。足が棒のようです。
歩き続ける一日です。
嘆きの壁からダビドの町へ。当時はどのような町であったのか、想像が働きます。
また歩きです。ダビドの町からシロアムの池まで。
シロアムの池に到着しました。40度なのに、日陰には爽やかな、涼しい風がはいってきます。
ノートルダムでの夕食です。一日中良く歩きました。
そして、イエス様も公生活の間、このように歩いていらしたのではと想いました。
大山神父様と行く「ポーランド・ブタペスト・ウィーン・プラハ巡礼の旅」第10日
プラハでの一夜が明けました。今日は聖母の被昇天の祝日です。朝一でロレート教会でのごミサでした。
「今日、平和旬間が終わります。被昇天祭であり、終戦記念日です。皆のために祈る日です。今日の1つのテーマは、生と死です。マリア様は、無原罪ですので、死なれたのではなく、眠りにつかれました。
人間は闘争し、戦争が好きな、戦う存在です。他人に対して優越感を持ち、挑発して戦争をしかけます。力で支配しようとする、本能的に好戦的な存在です。
そこに新たな原理、欲を制し、皆がともに栄えようとする原理、愛と許しの精神がイエスによってもたらされました。愛し、許す精神は難しく、お互いにできないと幸せにはなれません。自分が損をすれば良いのですが、損はしたくありません。イエスは、どれほど損をしたでしょうか?誰にでも平等に訪れる死を受け入れ、命のつながりを大切にすること。マリア様は仲介して下さいます。取り次いで下さいます。私たちは気づかずに神によって生かされています。聖母の被昇天の祝日を、ここ、プラハのロレートの聖母の教会で与かることができました。最終日に、生と死を考える日、平和について考えましょう。」
イタリアのロレート教会と同じ聖母の家がここにもあります。
プラハの町も歩く、歩くです。遠くにプラハ城を眺めながら、衛兵の交代式に。ハンサムな衛兵との記念写真です。
人口の20パーセントがカトリック信者という、ヨーロッパではカトリック人口の少ないチェコですが、聖ビート大聖堂は素晴らしいゴシック、信仰の気高い象徴です。
プラハの町は時代、時代により建物が異なり、それらが整然と並び素晴らしい、美しい町です。
今日の昼食は、観想修道会が経営している「Velka Klasterni」レストランです。美味しいお魚料理でした。
プラハ旧市街での夕食前の自由時間、ショッピングにカフェでのティータイムにと、皆さまそれぞれエンジョイしていらっしゃいます。
夕食のレストラン「Sarah Bernhardt Hotel Paris」というプラハのレストランで、巡礼最後の晩餐です。
お二人の・・祝いです。おめでとうございます。
大山神父様と行く「ポーランド・ブタペスト・ウィーン・プラハ巡礼の旅」第9日
オーストリアと全ヨーロッパで一番大切な聖母の巡礼地・マリアツェルに来ました。バジリカの後ろにある小聖堂でのごミサです。
今日は、聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者の記念日です。アウシュビッツの訪問のことを鮮明に思い出しながらのごミサでした。
「今日の御言葉から、私たちは、小さな人々への心配りがどれだけできるかを思い起こしましょう。人間の世界は、力の世界です。力が世界を支配し、弱い人を作り上げています。しかし、この力はいつか廃れて行く。絶えず、この繰り返しです。
このような力に向き合う力は何でしょうか?それは、神の力です。コルベ神父様のお祝い日に、彼は、人間にはこのような力があるのだと示して下さいました。戦争中、人の身代わりになった方々は多くいたと思われます。そして、コルベ神父様は彼らの代表になられた。マザーテレサに似た方々もいらっしゃいました。
神の御姿を示すこのような力が人間にはあります。
辛く、悲しい現実から逃れることはできません。しかし、主とともに歩むことによって、かえられて行きます。どんなに辛い、苦い日常生活も、主とともに生きるなら希望に変えられます。小さなものを大切にされた聖コルベ神父様の精神に与れますように。」
12世紀のことです。マグヌスという名前の修道士が、現地の人々への宣教のためにこの地に派遣されました。ところが道に大きな岩があって、塞がれています。持っていた木彫りのマリア像に助けを求めました。すると、岩が割れて道ができました。目的地に着くと、そのマリア像を木の幹において、礼拝堂件寝室となる小屋を作りました。小屋は、ツェル「Zell」、マリアの小屋ということで、マリアツェルと呼ばれています。
マリアツェルからプラハまで、約400kmです。大型バスは自然の中を走り抜け、皆さまはウトウト。
ホテルには8時過ぎに到着しました。すぐに夕食です。皆さま、お元気ですよ。
大山神父様と行く「ポーランド・ブタペスト・ウィーン・プラハ巡礼の旅」第8日
ウィーン・ドナウ川のほとりにあるヒルトンホテルでの朝食です。
素晴らしい景色も、外でのエレガントな朝食も美味しいです。
最初の訪問は「ベルベデーレ宮殿」です。
ハプスブルク家に仕えたプリンツ・オイゲンが当時の建築家・ヨーハン・ルーカス・フォン・ヒルデブランドに夏の離宮として造らせたもの。
プリンツ・オイゲンの死後、1752年、マリア・テレジアに売却された。
現在はオーストリア美術館。
ベルベデーレ(美しい眺めの意味)宮殿の絵画で世界最大のコレクションは、グスタフ・クリムトの作品です。その中でも圧巻なのは、「接吻」、「ユディット」などでしょうか。
また、エゴン・シーレの「抱擁」など、短い時間でしたが、楽しむことができました。
歩く、歩く。毎日、足が棒になるほど歩いています。
そして、朝になると、皆さまお元気に、再び歩き出されるのです。添乗員の私は感服してます。お手本です。
今日のごミサはシュテファン大聖堂の入り口の隅にある小聖堂で捧げられました。
「毎日、ごミサの中で平和について、また、平和との繋がりを考えています。力や金で平和を構築しようとしても無駄です。人間の力だけでは平和は築けません。今生きる時間と空間を大切に、時間の中にあって永遠から力を頂きます。有限の中にありながら、もっとも大切な真・善・美から力を頂きます。・・地上的な美の裏にはドロドロしたものがあります。イエスは神殿税について、人をつまずかせないように払いなさいとおっしゃっています。・・パウロは、一人一人は神殿であると言っています。絶えず心を神に向け、本物の神殿に近づけるように祈りましょう。私たち自身が神殿となり、平和を構築することができますように。」
シュテファン大聖堂の中を案内して頂きました。
説教壇までの手すりには、カエルとか、イモリが付いています。最後には忠実な犬がこれらを追い返すのだそうです。
昼食の後は、シェーンブルン宮殿の訪問です。
バプスブルグ家・歴代君主の離宮として使われていた。
夕食は、市庁舎の地下にあるレストラン「Rathauskeller Restaurant」で頂きました。
夕食後、希望者で「 Karlskirche」(聖チャールス教会)でのコンサートに出かけました。
ビバルディの「四季」、ベートーベンの「シンフォニーNo.5」、モーツァルトの「レクイエム」、シューベルトの「アベマリア」など堪能しました。