ロロピアーナ神父様と行く「メキシコ・ブラジルでご出現の聖母を訪ねて」第3日

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ブラジル・アパレシーダの聖母のバジリカに到着しました。

Tさん、お誕生日おめでとうございます。




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1717年のある日、パライーバ川で貧しい漁師たちが網を打っていると、最初に胴、次には頭と、テラコッタ製の聖母像がかかりました。その日は全くの不漁でしたが、この出来事に驚き、勇気づけられた彼らが再び網を投げ入れると、魚が船に溢れるほどの大漁となりました。‥



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アパレシーダでの御ミサは地下聖堂で捧げられました。


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夕食は皆様が巡礼家族になる時です。東京から、大阪から、京都からと初めて会う方々が、1日、2日で和やかな霊的家族になってきます。

ロロピアーナ神父様と行く「メキシコ・ブラジルでご出現の聖母を訪ねて」第2日

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昨日の午後2時に成田を出発したアエロメヒコは約12時間でメキシコ・シティーへ。メキシコ・シティーの空港で5時間ほど待って、次のLA航空に乗り継ぎ、9時間半。やっとサンパウロに到着しました。



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サンパウロのカテドラルには巨大な柱があり、ポルトガルの影響を受けた建物である。



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巡礼で最初のごミサはカテドラルの脇祭壇で捧げられました。



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次には、聖フランシスコ教会、カトリック最初の教会、イエズス会の教会などを、疲れと眠気と闘いながらも、一生懸命に訪問しました。



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やっとホッと一息の昼食です。今日はビュッフェ。皆様の食欲は半端ではありません。ご覧ください。



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ベネディクト会の教会です。


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ブラジルで40年働いていらっしゃるシスターと、日系のYさん。本当にご苦労様です。

外川神父様と行く平戸・生月・黒島巡礼第四日

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いよいよ最後の「隠れキリスタンの地」外海に向かいます。

皆様うとうとしながら、小雨の中2時間ほど バスに揺られて、黒崎教会に着きました。神父様が聖堂の外で出迎えて下さり感激です。

黒崎教会はフランス人宣教師ドロ神父様によって1920年に建てられた、レンガ造りの建物です。

ごミサ中で神父様は「キリストはいつもそばに居てくださる。その慈しみの眼差しをいつも感じながら生きていく。又その眼差しを家族、友人、まわりの人々に与えあう。ドロ神父様の元で信仰を頂いた人々は、その神様の眼差しを大切にした。」とお話下さいました。

次は「遠藤周作文学館」です。この地域は、キリシタンの里とも言われ「沈黙」の舞台となったところです。「人間がこんなに哀しいのに主よ 海があまりにも碧いのです」と刻まれた碑があります。

昼食は五島灘を目の前にした道の駅の中のレストランです。ビュッフェスタイルで地元で採れた野菜、お魚などが並んでいます。

最後の訪問する教会は、出津教会。1882年にドロ神父様により建設されました。

この教会の周りには、いまだに独自の形で信仰を守っている「隠れキリスタン」が多数存在するそうで、

神父様方は「カトリック教会にもどるように」との働きかけを根気強く続けていらっしゃるとのこと。

近くの「ドロ神父記念館」まで、小道を下ります。雨もやみ、気持ちのよいお散歩です。

ドロ神父様は1868年28才で石版印刷の技術を伝える為に来日し、そのうちの33年間、外海の人々に宣教と社会福祉や産業開発に、ご自分の私財を投じてつくされました。神父様の遺品が展示されています。

バスは長崎駅に向かいます。福岡空港からご参加の4名の方々とお別れです。

またお会い出きるのを楽しみにしてます。

その後長崎空港へ。

女性軍はおみやげを買ったり、お元気です。

羽田空港で解散。それぞれ現実の世界に戻られました。

外川神父様と行く平戸・生月・黒島巡礼第三日目

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8時に出発して田平教会に向かいます。

今日は日曜日、三位一体の祝日ですので、主任司祭の中田神父様との共同ミサです。8時半からのロザリオの祈りから参加しました。

ごミサが始まる30分前に集り、ロザリオ一環唱える信徒の方々の信仰に敬服しました。

田平教会は今年100周年を迎えられたそうです。



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田平教会の後、ザビエル記念教会に行きました。

聖フランシスコザビエルは

1549年に上陸して、短い期間であったが、3度平戸をおとずれている間に、20日間の布教で100余人に洗礼を授けたそうです。



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昼食に今日も新鮮なお刺身を頂いた後、シスターさきたが待っていて下さる山田教会へ。

シスターはお忙しい中、蝶の羽で飾られた聖堂の中で、隠れキリシタンの事をお話頂き又ガスパル西の殉教地を案内してくださいました。



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戸切支丹資料館は根獅子浜脇にあります。かつてキリシタンが多く潜伏していた地区で、代々大切にまもらてきた資料が展示されています。資料館の隣りには処刑されたキリシタンの家族の墓があります。

目の前には青く澄んだ白い砂浜が広がっています。



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紐差教会で、殉教者への祈りを捧げてホテルへ。

夕食後にHご夫妻のご結婚50年のお祝いをしました。

どうぞ、これからもお元気でお過ごし下さい。

外川神父様と行く平戸・生月・黒島巡礼第二日目

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皆様お疲れのご様子もなく、小雨の中9時にホテルを出発して相浦港からフェリーで「潜伏キリスタンの島」黒島へ向かいました。

黒島は周囲約12Kmほど、人口470名の8割以上がカトリック教徒の小さな島です。

その丘の上に立派な赤レンガ造りの黒島天主堂があります。

1897年にフランス人のマルマン神父様のご指導で、島の多くの信者によって建てられた。

同じフェリーで島に渡られた、福岡の教会の竹内神父様との共同司式でご同行の数名のご信者の方々もご一緒にミサにあずかりました。

お説教は外川神父様です。「子供に対しても、お年寄りに対する時も、お互いに尊敬する。大切にする。神様の光、まなざしが注がれているから。その光を感じる人が、神の国を受け継ぐことができる。」

昼食は近くの民宿へ。

新鮮なお刺身、イサキの煮付けなど、連日皆様大満足です。

昼食の後、島のボランティアの鶴崎さんが、カトリック共同墓地、根谷の大さざんか、アコウの巨木などを案内して下さいました。




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黒島天主堂の祭壇の床は、有田焼は、信仰の自由を喜んではられたのだろうと、主任司祭の大山神父様がお話下さいました。イエズスのみ心に捧げられた教会なので、祭壇前にはご絵が飾られ、有田焼のタイルとのコントラストはとてもきれいです。




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今日最後の訪問は焼罪公園です。福者カミロ神父様は、キリスタン弾圧下、一度追放されたにもかかわらず、再度平戸で宣教中に捕まり火炙りにされた地です。

明日は隠れキリスタンの地、生月の教会を巡ります。


外川神父様と行く 平戸・生月・黒島巡礼第一日目

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一日目

羽田空港から福岡空港へ。

広島、熊本から参加なさる4人の方々と合流して、計17名で最初の訪問地でごミサの予定の今村教会へ。

 

 

潜伏キリスタンの部落がいくつもあった地域です。また最近話題になった小説「守教」の舞台になった教会です。

レンガ造りの立派な建物です。内部は鉄川与助の設計で、五島の教会にもよくみられる椿のステンドグラスが目をひきます。

 

 

神父様は「神様は人間にきびしい事を求められるが、そこには神様の支えとゆるしがある。」とお話下さいました。

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皆様朝早くお出掛けになったので、約1時間半のバスでぐっすりお休みになった後、伊万里トラピスト修道院へ。

山道を登り、地上とかけ離れた別世界に、「祈り」「働く」ね戒律の厳しい修道院があります。自給自足の

生活をしながら、社会の抱える様々な問題の為に、ひたすら祈って下さっているのです。

シスター方がお手作りのクッキーとガレットとジュースでご接待下さいました。

又思いがけず、5時からのシスター方のお祈りにも参列させて頂きました。

30人位のシスター方のお祈りの歌がきれいで、心が洗われたような気持ちになりました。

神父様は、「毎日の生活の中で、その真ん中に神様がいて下さる、これはキリスト教にとって一番大切な事。いつも一緒にいるからと約束して下さった。」とお話下さいました。

なかなか経験出来ない、私達の信仰生活の糧を頂けたような気持ちです。

バスが遠ざかるまで、三人のシスター方が手を振りながらお見送り下さいました。本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

中谷神父様と行く東北巡礼4日目

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今日が巡礼の最終日です。

まずは山形教会へ、聖体訪問です。

聖堂の正面二階を見ると、キリストの左肩に子羊が乗っている「良き牧者のキリスト像」があります。

私たち一人一人は主キリストに導かれる子羊であるという事を物語っています。

主任司祭の千原神父様から教会の説明をしていただきました。

その後今回の巡礼の旅の皆様と集合写真を撮りました。




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つぎは米沢教会です。

1629年、甘糖右衛門をはじめとする53名が米沢で殉教しました。

この殉教の地を訪れた神言会のシュエンテック神父が住んだのが米沢教会の始まりです。

中谷神父様からミサの中で「神様の愛を深く感じ、信じて生きること。そのとき神様は助けてくださる。」と言うお話しがありました。

ミサ後、主任司祭のマルティネス神父様より簡単な説明がありました。



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米沢教会近くの、刑場 北山原殉教地を訪れました。

上杉景勝に仕えた甘糖右衛門は、江戸でルイス ソテロ神父から受洗し、他の武士の家族にも信仰の種を撒いた。

仏教が盛んな米沢で、千人を超えるキリシタンが信仰を守っていた。

またこの地では、信者でない地元の武士や住人との関係も良かったようである。

しかし上杉定勝の代になると、幕府の圧力を避けることができなくなり、53名が北山原で処れた。

この中には9名の幼児も含まれていた。

この旅の最後の殉教地で、中谷神父様と参加者全員で祈りと歌を捧げました。